これって本当に日本だけ?オーストラリアで働いて感じる共通点

最終更新日

この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。

こんにちは。

ジュークです。

本日は、さっそくではあるが日本で働いていると時折聞く「日本の特殊な職場環境あるある」が本当に日本だけなのかについて私の経験から綴ってみたい。

根回しや飲みニケーションはよく「日本独特な文化」であると言われたり、「外資は上司部下の関係がフラットで気さくに話し合える」などの神話があるが本当だろうか?といった内容になる。

前提条件として日豪で日系外資双方で営業として働いている経験がもとになる。

根回し

日本企業や外資の日本法人で働く上で、サラリーマンの必須スキル「根回し」

公の場で何かを議題として出したりするときにあらかじめ上司や関係者に頭出しをしておき合意を得る行為である。

これは多かれ少なかれよく「日本独特の風習」であると仕事をしていると言われる。

しかし、私はこの手の動きはオーストラリアでもよく見る。決して珍しいことではない。

日本で言われる根回しは、少なからずマイナスなニュアンスで使われることが多い印象があるが、オーストラリアはじめアメリカ系企業では根回しの根源である「あらかじめ関係者の合意を得ること」はビジネスパーソンとしては当たり前のスキルのような気はする。

これは上司や意思決定者が日本人だろうがアメリカ人だろうかオーストラリア人であろうが、サラリーマンであることには変わりはないのだから個人が決められることには限界があることに尽きると考えている。その話が大きければ大きいほど、部署間の調整や社内政治も必要になるかもしれない。

よって公の場でいきなり言われても、「俺にこの場でどうしろと?」となり「あいつは俺を公開処刑にしやがった」と反感を買うのは万国共通な気がする。

言葉を変えれば、上司に恥をかかせる行為は古今東西、ご法度であると思う。

あらかじめ社内調整を行うミーティングを設定したりすると、それは外資的には生産性が低い時間になるわけだが場合によってはそういう場を設けることが逆に評価になったりする。

飲みニケーション

残業した後、上司や先輩に誘われて深夜まで居酒屋で飲む。説教を受けたり、ぶっちゃけ話をする。

日本で働いた経験があるサラリーマンなら誰もが通る道である。

端的に言えば、こういうことはオーストラリアでもある。

流石にコロナ禍の今ではないが、コロナ前は夕方までオフィスで仕事をしていると上司やお偉いさんに声をかけられて近くのバーや大衆酒場に連れていかれ、最初は世間話や家族の話をするが本題は仕事での相談や「あいつのことをどう思っているか」などの人事評価の場になったりする。

とどのつまり、お酒をダシにして人とコミュニケーションを取ると言うのは万国共通である。

もちろん、私の経験上、オーストラリアで上司の誘いを断っても一般的に関係にヒビが日本ほど入らない印象だが、場合によっては断ることは自分の評価に直結することもある。

この理由は次のトピックに続く。

上司と部下の関係はフラット

私の率直な意見は、オーストラリアや外資では表面的にはフラットだが本質的には日本企業以上の上下関係が存在すると思っている。

理由は簡単で、外資ではあなたの上司にあなたの人事権を与えられている場合が多いからだ。

言葉を変えると、あなたの評価はあなたの上司がするので、何かしらの理由でクビにしたいと思えばいかようにもできるということだ。

これは日本企業にはない風土と思う。

私が日本企業に勤めていた限りで思うことは、日本企業の課長や部長にこういう人事権はない。嫌いな部下がいても異動させるような働きかけはできても、クビにさせることはできない。労働者は労働法にも守られているし。

一方、オーストラリアでは管理職はその権限を与えられている。オーストラリアの法律に則っている範囲であれば解雇させることは可能だ。上司やマネジメント層も人間なので感情で動くこともあろうし、酒の誘いを断ったからと言って即刻クビになることはないが、関係にプラスに働くことはないと思う。

もちろん、平時は非常に関係はフラットで、例えばお互いを下の名前(つまりファーストネーム)で呼び合うことが普通である。そういう表層的なところではフラットだが、人事権を握られているというとてもウェットかつわかりやすい上下関係がそこに存在している。

なので上司に必要以上に逆らうことは自分の首を絞めることになるケースが外資では多い。もちろん、意見を求められたときに自分の意見を言うことは大事だし、ミーティングに参加しているのに何も発言しないと「あいつはやる気がない」とレッテルを貼られることがあるので発言することは重要だ。

つまり、言葉の選び方には神経を使う。

これはオーストラリアをはじめとする西欧社会では、仕事はあくまでお金を稼ぐ手段であると認識されていることが起因していると思う。俗にいう「契約社会」であるので、言葉を変えれば自分のお金稼ぎの足を引っ張る者はいなくなって当然だということである。これがいわゆる「ポジション採用」の本質であると考えており、任命された仕事ができないなら去らないといけないということだ。

これはメンバーシップ型と言われ「社員は家族」のような認識のある日本社会とは真反対の価値観であると思う。

結論、上司と部下それぞれの「お金を稼ぐ」という協定が守られていればフラットではあるが、その根底には軍隊とも言える上下関係があるということだ。

??「わかっているな」

終わりに

オーストラリアは働きやすい・日本の労働環境は劣悪だ、といった声はよく聞く。私自身も日本で仕事をしていた時は体を何度か壊したりストレスで頭が狂いそうになったこともあった。

一方、オーストラリアが楽園かというとそうでもない。特に営業という仕事においては日本以上に数字へのプレッシャーがあるし日本の方がその辺はあやふやというか適当だった気もする。

結論、オーストラリアも日本も所詮人間が動かしている社会であり国家であるので、表層的な違いはあるにせよ根幹的には有意差はないような気がしている。

もちろん、給与水準や風土、文化的な違いはある。例えば、一般的に豪州では家族がもっとも優先される価値観であったり、残業を推奨するような風土もない。男女平等もオーストラリアのほうが歴史的にも文化的にも浸透はしていると思う。

一方、突き詰めれば仕事は人と人の関係で成り立つというのは日本でもオーストラリアでも変わらないと思う。

なので私は「日本は特殊な国だ」という議論を聞くと「表層的にはそうだが、本質的に本当にそうか?」と思う。

それでは。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントする