もうすぐ移住4年目。移住前の自分の不安への回答

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こんにちは。ジュークです。

2018年末にオーストラリアに国際結婚を機に移住してきて、もうすぐ丸3年になり4年目となります。紆余曲折ありましたが無事永住権も取得し、生活も安定してきた側面もあります。

今日は、移住する前に自分が抱えていた不安や疑問について、この3年の経験を交えながらまとめてみたい。

移住を考えている人たちのお役に少しでも立てれば幸いです。

不安①仕事は見つかるだろうか

移住時、28歳社会人6年目だった私の最大の悩みかつ不安はこれだった。

大学生としてオーストラリアに住んだ経験はあったものの、もちろん就労経験もない。在学中に履歴書や電話面接などは受けたことがあっても、本格的な就職活動もしていなかったといえばしていなかった。オーストラリア就職のイロハもわからない。

そして、なにより6年間営業職の経験しか積んでこなかった私は、オーストラリアでもっとも価値のある「手に職」ではない自らの経歴に不安しかなかった。

しかしながら、結論からいうと仕事は見つかる

というより、得られたチャンスを生かすしか無い。というのが正しい表現になると思う。

幾多のブログなどで得た情報の通り、今あの時を振り返り、率直に表現を用いるとオーストラリアで最初の仕事を得るのが一番大変だった。いかんせん豪州での就労経験がないわけなので、多くのリクルーターや企業に敬遠されたと感じる側面も少なからずある。

今思えば自分が採用側だったら、よっぽどな特殊技能やポジションでない限り、オーストラリアで就労経験のない20代の外国人を雇うなんてリスキーなことはしないだろう。現在、勤務先の採用活動に時折関わるようになって思うが、これは大抵の場合いわゆる差別ではなく、合理的なビジネス的判断だと個人的には思う。

結果的に、私は日本で働いていた業界から大きく違う業界に移り、豪州での最初の仕事はジョブレベルも若干下がることとなった。これはこれでもどかしい気持ちもあったが、自分の中で以下のようにルールを移住前に決めていた。

「まず2ヶ月就職活動をする。そこで得られた最善の選択をする。それで一切見つからなかったら大学院に行く」

実際は、2ヶ月も待たずとも1ヶ月ちょっとでジョブオファーは得られた。

しかし、全てのジョブオファーはどちらかというと「そのポジションの経験なし」の人がやるエントリーレベルのポジションばかりだった。同時にそれ以上のポジションの面接は一向に進まなかったので、「ここが今の俺の評価か」と自分の中で落とし込むしかなかった。

そしてジョブオファーの中から、外資系IT企業のものを選んだ。

そこからは今思えば、移住によって下がってしまったジョブレベルを日本勤務時代に戻すだけではなく、追い越すことに邁進した。言葉を選ばずに言うと、オーストラリアに来たことによって「ピカピカの一年生」に成り下がったしまったと自分の中で葛藤はあった。日本ではそれなりの責任を持った仕事ができていたのに、移住して言い方はよろしくないかもしれないが、「新卒がやるような仕事」をすることになってしまったのも否めなかったから。

しかし、そこで腐ることは自分の中で絶対したくなかった。

自分で決めた豪州移住。その影響と責任は自分が背負うべきものだと思ったし、腐っても文句を言っても何も変わらないと思った。とにかく結果を出して次のステップに進みたい。そう誓った日々だった。

移住も3年が経過し、今年からやっと日本勤務時代と同等かそれ以上のジョブレベルの仕事に就くことができた。逆説的になるが、最初の仕事を見つけるのは大変だが後はある意味雪だるま式にチャンスを得ることができる。現に、今は月1〜2件の求人がリクルーターから得られている。

つまり、要約すると仕事は見つかる。

ただし、オーストラリアで得られる評価が日本にいたときの自分とはイコールでない場合がある。その落とし込みを自分の中でできるか。そこで踏ん張れるか。それが大きなハードルだと感じた。

何事も踏ん張るべきところで踏ん張らないと、道は開けない。

不安②移住を後悔しないだろうか

漠然とした不安であったが、仕事や国際結婚などはさておき移住そのものに後悔はしないだろうかと移住前の自分は結構悩んだ。

移住前、日本でそれなりに大きな組織で仕事をさせてもらえていたし、就職を機に住み始めた東京での暮らしも6年ほどが経ちだいぶ慣れてきていた。友人も知り合いも業界の知人もそれなりにいた。それらをバッサリ切って、何も約束されていない・守られない異国の地にいくことはリスクでしかないんじゃないか?そう思うことは正直多々あった。

もちろん、オーストラリアに移住してから一度も後悔していないかというと、それは嘘になる。前述の通り、豪州での就職にあたりジョブレベルを落とす決断を迫られたときも「なんでこんなことになるんだ」と色んな形での葛藤はあった。

また、長い海外暮らしから英語に不自由はない私ではあるが、やはり日本語のほうが話しやすい場面もある。よってオーストラリアの銀行や役所、保険会社との正直面倒な会話を英語でやらないといけない時は結構気が重くなる。

もちろんオーストラリアには日本食レストランがクオリティはさておきそこら辺に溢れているため、和食に飢えることはない。しかし、やはり日本で食べる和食とはやっぱり何かが違うと感じるため、そういった食の部分で「日本に残ってたらこんな苦労はなかったなぁ」と思うことはある。

そんなこんなはあるが、総合して私は移住を後悔していない。

なにより長い間、遠距離恋愛をしていた奥さんと一緒に生活ができることが何より幸せであるし、今年誕生した第一子も移住しなかったら存在すらしていないだろう。

また、オーストラリアにくることで自分が持っていた「人生で一番大事なものは家族だ」という考え方を生活レベルで落とし込むことができているのはある。

世代や個人により有意差はあると思うが、日本勤務時代はどうしても会社や上司・先輩や同僚の多くが持っていた「人生で一番大事なものは仕事だ」という価値観を受け入れられなかった。仕事の手を抜くという意味では全くないが、仕事はあくまでお金を稼ぐための手段であり、生活をしていくための一部でしかないと私は思っている。もちろん、年収は高い方がいいし、大きな責任のある仕事をしたいと思っているので「仕事をしたくない」というわけではなく「優先順位」の観点である。

私が理解できなかったことの一例として、子供が熱を出しても出勤していたり、奥さんが体調不良でも出張に行く同僚や上司。家族との時間を犠牲にしてまで週何度も行われる接待や飲み会。

一方、オーストラリアでは「家族が人生で一番大事」という社会通念が確立している。家族より大事なものなど存在しないという価値観があり、家族のために仕事を休んだりすることは当たり前だし、それが良しとしない雰囲気はない。もちろん、やらねばならない仕事がある時はオージーも遅くまで働くし、手を抜くことはない。ただ価値観として、前提条件として仕事が人生の全てではない。

まとめると、オーストラリアにきて自分の持っている価値観が社会通説化している社会にいるほうがストレスという側面ではかなり軽減された。

これは諸説あるものだと思うが、やはり豪州社会では「仕事はお金を得る手法の1つ」であり、転職も平均2〜3年でする人が多いため、会社への帰属意識のある人の割合が終身雇用が今も色濃い日本と比べると、俄然低いと考える。

不安③友人と家族を会える機会は減るのか

これは移住前の覚悟通りと言っていい。こればかりはどうしようもない。

移住すると、当然ながら日本の友人や家族と過ごす時間は激減する。

コロナ前は仕事の関係もあり休暇も含めて、半年から1年に1回ほど帰国できていた。その時はタイミングが合えば家族や友人に会っていた。しかし、日本在住時は仲の良い友人らとは月1とか、気の合う同期とは週1〜2回とかで飲みに行ったりしていたのに比べるとその時間は激減したと言える。

特に懸念しているのは家族である

私の両親はともに60代。今は元気で自由に暮らしているが、あと10年〜15年もすれば足腰が弱ってくる年代に差し掛かる。そうなれば身軽にオーストラリアに遊びにも来れない。さらに、日本の平均寿命が男女ともに80〜85歳前後と想定するならば、年に1回帰国したとしても残り会える回数は20回ほどとなる。

「そんな不謹慎なことをいうな」とお叱りを受けるかもしれないが、これは紛れもない事実であり、そこから逆算して日々の行動を考えなければ後から後悔すると私は思う。

そんな中、コロナ禍になって日豪間の移動がほぼ不可能になって1年が経過した。

幸か不幸か、友人とも家族ともそれまであまり行わなかったオンラインでの会話が増えた。ZoomやSkype、Lineなどでのコミュニケーションが大幅に増え、実際に会うことはもちろんコロナ禍が始まってから一度もないが、会話の密度という点ではヘタをすればコロナ禍前より上がったといえるかもしれない。

第一子が誕生してからは、家族とも頻繁にオンラインで繋がるようになった。両親が嬉しそうに孫を見ている様子を見れるだけでも価値があると思う。

とはいえ、実際に人と人が会って話をすること以上に良いコミュニケーションなど存在しないと個人的には思うので、1日も早くコロナ禍が終わり、コロナ前の日々が戻ることを期待したい。

終わりに

前述の通り、人生で色んなことがあると「移住しなければよかった」「移住してよかった」と一喜一憂する。

そんな中で気をつけていることは「後悔しない」ということである。平たく言えば、過去に起きたことはすでに起きてしまったのだから、それいくら悔やんで泣き叫んだところで何も変わらないのである。変えることができるのは今と未来だけなのだ。

そのために、その時その時で最善と思える選択をしていくしかない。

そして私の場合、それは家族の平和であり、それを実現し維持するための選択を日々していくだけなのだと思う。

それは世界のどこに住んでいても変わらない。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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