オーストラリアに住んでいると話題に上がる人種差別について思うこと

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こんにちは。ジュークです。
昨今はコロナウィルスのニュースは峠を過ぎたような雰囲気もありますが、今度はアメリカでの白人警官による黒人殺害のニュースが飛び込んできました。アメリカを始め、今度はイギリスにも人種差別デモが飛び火し、ここオーストラリアでも活発化してきています。
おそらくこのニュースに対する解釈、そしてデモへの思いも十人十色と思う中、今日は海外生活を長く過ごしてきた私の意見・経験を綴ってみたいと思います。
人種差別の歴史
突然ですが、これまでの生活を振り返ると人類の歴史は人種差別の歴史と言っても過言ではないと思っています。
とはいえ、私自身も日本で生活していた時は人種差別により不利益を被ったことももちろんありませんでしたし、人種差別について考えたり実感することも少ないと思います。そもそも日本人がほとんどの日本社会で人種差別について考えさせられることはそれほど多くないのかもしれません。
一方、オーストラリアのような他文化社会、とりわけアジア人がマジョリティではない国に住んでいると人種差別は日々の一部として残念ながら存在していると感じることもあります。
下記は、2019年のオーストラリアにおける人種の調査結果です。
- イギリス系 67.4%
- アイルランド系 8.7%
- イタリア系 3.8%
- ドイツ系 3.7%
- 中国系 3.6%
- 先住民系 3.0%
- インド系 1.7%
- オランダ系 1.2%
- そのほか 5.3%
当然ながら白人がマジョリティを占めており、そのほかをさておくと主要アジア民族は中国系となり、その数もオーストラリア全土でわずか3.6%しかいません。中国系・先住民系・インド系のいわゆる有色人種はオーストラリア全体で見ると8.3%ということになります。おおよそ十人に一人ですね。
オーストラリアでは多文化主義やダイバーシティを謳い、企業や団体は従業員が一定の人種に偏らないように呼びかけていたりします。一定数の人種的マイノリティを雇用すると企業への優遇などもあるようです。人種差別はもちろん違法ですし処罰も厳しいものです。人種に関するジョークなども社会的に厳しい目で見られており、笑いであっても許されません。
そんな現在のオーストラリアですが、歴史を紐解けば1970年代まで白豪主義が正々堂々と国策として行われていたという事実もあります。いわば政府が事実上の白人優遇、それ以外の人種への差別を合法としていたわけです。比較対象とされるアメリカでも、黒人による公民権運動が活発化したのが1950-60年代ですから、米豪両国で人種平等化が謳われてから50-70年あまりの歴史となります。
しかし人種差別の歴史は長く、それが社会や文化に与えている影響は現在においてもあまりにも大きいと感じます。
元を辿れば、スペインやポルトガルが大航海時代を切り開いた14-15世紀に奴隷貿易が始まった。アフリカから新大陸アメリカへの労働力確保のための黒人強制移動が始まります。その後も、イギリスやフランスはアジアやアフリカで植民地化を進め、理由はともあれ白人による有色人種への差別が正当化されてきました。オーストラリアでも開拓時代は白人による先住民の「猟り」という趣味が普通に行われていた歴史もあります。
つまり人種差別は人類の歴史において、500年近く欧米諸国によってごく自然に行われてきたわけです。50年足らずの時間で500年の歴史を変えることは難しく、今も人種差別は完全に消えないという考えを私は持っています。
個人として思うこと
私は幼い頃から海外で育ち、学校もインターナショナルスクールに通いましたので人種についてあまり逆に意識したことはありません。子供の頃から白人やインド人、黒人、アジア人と机を並べてきました。そんな環境にいたので今振り返れば、いちいち誰が何人だとか気にしたことはなかったです。
綺麗事にしか聞こえませんが、人種問わず人間は人間なので、文化の違いなどあれど人種問わず平等に扱われてこその文明社会だと思っています。一方で、オーストラリアの例を見るとそんな綺麗事と理想論では終わらない、社会的に難しい問題ではあります。
いろいろな人の話を聞いたところ下記のようなことをよく聞きます。
- 以前は移民は飲食店や工場といった簡易労働、白人は銀行やIT・資源といった高付加価値産業で棲み分けていたので利害衝突がなかった。今は移民の二世や三世が高付加価値産業に増えてきており、それを「自分たちの仕事が奪われている」と感じ、吉としない白人層(特に保守派)が増えている。
- 2000年以降は急激に増えたアジア人への偏見が加速。特にアジア人は低賃金で長時間働くことを苦としない人の割合が比較的高く、「仕事を理不尽に奪われている」と感じる人が増える。
- 1990年以降に政府が積極受け入れをした中東・アフリカ難民がなかなか白人社会に溶け込めていない、自分たちのコミュニティを作ってモスクや他宗教施設を作ることを「適応力がない」とマイナスに思う人々もいる。
人種差別の難しいところは、「差別はよくない」「人種問わず平等であるべきだ」という真っ当な主張がある一方で、具体的にどうすれば解決するのかが明白ではない点にあると思います。人間は所詮人間ですので、理屈や論理より偏見・感情が先行してしまうのは自然だとも言えると思います。
日本における人種差別
オーストラリアの話ばかりではあれなので、日本の話も。
私が日本で働いてた時、常々思ったのは日本社会には一定数「日本には人種差別は存在しない」「人種差別は欧米がやっていることだ」と本当に思っている人がいたことです。欧米で人種差別が少なからず行われていることは否定できませんが、私は日本で人種差別が皆無かと言われると、クエスチョンマークだと思います。
日本のみに暮らしていると感じにくいかもしれませんが、海外で時間を過ごしてから日本へ帰国すると他愛もない会話の中で、特にアジア系への偏見と差別を残念ながら見たり聞いたりしてしまうものでした。
「あの人は中国人だから、ああなんですよ」
「あの人は東南アジアに住んでたからね」
「やっぱ白人だな」
「やっぱりガイジンだから」
のような発言も、私からすれば意図はともあれ十分な差別です。ただ日本の人種差別は、欧米と違い暴力や殺害といった目に見えるものである場合は限定的であることがまた特徴なのかもしれません。
終わりに
結論と言えるものではありませんが、一度自分が人種的マイノリティになる社会に住んでみると意識は変わるだと思います。と言いつつ、私もオーストラリアに永住覚悟で移住するまで人種差別について深く考えたことはありませんでした。
もちろんながら、オーストラリアで人種的マイノリティであれば苦労することは多々あります。
どこまでいってもオーストラリアは白人が建国し、主体となっている国家でありアジア系はマイノリティで、後から勝手にやってきた移民なわけです。就職の面接に趣き、私がアジア人だとわかると白人面接官に「英語はちゃんと喋れるのか」と聞かれることも多々あります。これを差別と捉えるかは個人それぞれですし、おそらく英語の喋れないアジア人を多くみてきた、オーストラリア人面接官は「アジア人=英語が喋れない」と思っていたのかもしれません。
また、必要以上に煽ってくる白人ドライバーに絡まれたことを経験したこともあります。さらに、レストランで順番待ちしていると私の後ろにいた白人に飛ばされたこともあったりします。オーストラリアの田舎町に行った時は、アジア人が少ないこともあり、道を歩けば白人にジロジロみられました。
そんな経験をすると日本一時帰国時に、コンビニで移民の店員さんが流暢な日本語で接客されているのをみると私は尊敬の念を覚えます。異国で生活し、働き、家族を養っていくことがいかに大変か、何度も心が折れそうになるか、眠れない夜を過ごしているか、少しだけかもしれませんが分かるからです。まず言葉を学ぶことから始まり、文化を理解する。仕事を探し、いざ決まったとしても仕事を続けていくこともきっと多くの苦労があります。
人は苦労をすればするほど、他人に優しくできるものだと思います。そんなお互いに理解し合える世界が望ましいのかもしれません。