オーストラリア移住6年目を迎えるにあたって
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こんにちは。ジュークです。
年の瀬に差し掛かると、2018年にオーストラリアに移住してきたことを思い出す。あれからもう5年も経過し、在豪生活も6年目に突入すると思うと、特に何かあるわけではないが感慨深いところはある。
毎年恒例となるが、今日は簡単に海外移住6年目を迎えるにあたっての所感を綴ってみたい。
海外移住への考え方
まず、海外移住そのものについて今年は個人的な事情もあって考えることが多かった。
結論、私の思いは「海外移住はする必要がないのであれば、しないほうがよい」ということに腹落ちしている。これは海外移住を絶対的に肯定するわけでもなければ、否定するわけでもなく、文字通り、必要がないならしないほうがいいと個人的には思っている。
永住前提の海外移住する理由は人さまざまだと思う。国際結婚や、仕事を求めての移住、個人的な興味。
私は最もわかりやすい国際結婚であったわけで、「結婚相手がオーストラリア人だったからオーストラリアに移住した」にすぎない。あと、学生時代をオーストラリアで過ごしたため、土地勘や知り合いもいるためある程度、生活へのイメージがあったことは大きい。
一方、やはり外国人として海外に住み続けることは、人によっては心理的不安やストレスになることもあると思ったのがこの1年である。
「オーストラリアは移民国家だし、自身が外国人だと意識することなんて、そんなことなくない?」と思われる人もいると思うし、それを否定するつもりはない。昨今はクオリティはさておき、日本食レストランも増えたし、ユニクロや無印良品などといった日系アパレルも増えてきており、不自由することがないといえばない。
ただ、やはり休暇や仕事で日本に滞在することがあると、まあ、当たり前な話なのだが「日本が自身のホームで、オーストラリアはやっぱりなんかホームではない」と思ってしまうことがある。
それは、簡単なところで言語とか文化、習慣といったところでもそうだし、やはり仕事においてはいわゆる「自国民ボーナス」を活用できる点でもそうだ。
加え、自身の家族と離れて暮らすことについても考えることがある。私の両親は60代後半に差し掛かっており、日本の平均寿命や健康寿命を考えると、あと何十年も健康に再会できるわけでもない。また、子供が生まれてからは、両親が私の子供を過ごす時間も多く提供できていない。別にそれについて文句を言われるわけではないが、「親孝行できてるのかなぁ」と思うことはある。
加え、私も過去は就職・転職で苦労したり、オーストラリア社会への適合でストレス過多だった時期があった。そういう時になると「なんでこんな苦労をしないといけないんだ。日本にいたらこんな苦労はなかったはずだ」と考えてしまうこと、なんら解決にもならないのに、奥さんと口喧嘩になることが多かった。
今や娘も生まれ、オーストラリア生活も安定してきたので、「日本に今すぐ帰りたい」と思うことは減ってきた。しかし、生活が整うまでは「日本に帰りたい」と自問自答することはあったし、その腹落ちができないとずっと悶々と在豪生活を送っていた。前述の家族との生活や、異国でのストレスはある程度生じる。「なんでそもそも移住したのかなぁ」と考えてしまうことを避けるためにも、冒頭に申し上げた「移住する必要がない」ならしないほうがいいと思っている。
母国への考え方
日本を離れて5年近くになる。幸運にも、1年に1回まとまった休暇も得られるようになり、さらに、仕事の関係で時折日本へ渡航する機会があり、それほどホームシックにならずに済んでいる点はある。
一方、昨今の円安傾向や日本経済の低迷、増税、上がらない実質所得、少子高齢化社会の影響が如実に感じられる局面に入ってきたことなど、嫌味や出羽守ではなく、素直に、日本に滞在する時に「日本は大丈夫なのか」と考えることが増えた。たとえば、昨今の円安で、2023年11月現在、オーストラリアドルはもはや100円に近づいている。過去、1ドル60円や70円の時代があったと考えると、日本の全てが安く感じるのは事実だ。
とはいえ、オーストラリアもオーストラリアで、社会問題がないわけではない。どこの国も、それぞれ問題はあり、完璧な国家など存在しないのは事実だ。人種差別問題や、先住民への考え方、資源一本足打法の経済構造、出生率の低迷など、オーストラリアもオーストラリアなりに問題はある。
特に子供が生まれてから自身の人生の時間の中で日本がどうなるのか、に加えて娘の人生を考えた時の日本を考えるようになった。向こう20年〜30年もそうだが、50年、70年後、日本は世界から見てどうなっているだろう、という点だ。
もちろん、誰も未来のことはわからないし、断言はできない。だからこそ、娘には、いろんな状況において選択肢を持て、より多い機会を得られるようにしてあげたい。だから、グローバル言語となった英語はちゃんと喋れてほしいし、自身のルーツの1つである日本も知っておいてほしいと思う。
私は右翼でも過激派でもないが、日本人として日本のことを誇りに思っている。今やアニメや漫画などのコンテンツ大国扱いの日本だが、ちょっと前まで電化製品や最新テクノロジーは日本発のものが多く、海外で学生生活を送っていた頃は「日本は未来を生きている」感をすごく感じていた。そんな日本が、相対的に経済力を伸ばし追い越されつつある他の国々の影に隠れ始めたことは非常に残念だと思う。特に、IT関連の仕事をしている今、日本は非英語圏であることと、IT成熟度で米国や豪州に比べ率直にかなり遅れをとっていることを強く感じる。この現実は今後10年、20年とボディーブローのように経済・社会に大きな影響を及ぼすことは確定しているだろう。
オーストラリア政治から学べることを1つ
日本とオーストラリアは社会も文化も歴史も大きく大きく異なるため、直接的な比較はできない。一方、個人的にオーストラリア社会から学べることも多いと思っている。それを1つ書いてみたい。
政治的な話をすると論争になりがちなので、あまり深追いしたくはないが、それは「二大政党制」についてだ。
過去のブログ記事でお伝えした通り、オーストラリアも日本も民主主義国家であるが、決定的な違いとして前者は二大政党制であり、日本は実質の一党による政治が続いているという点にあると思う。
ものすごく簡単に表現すると、オーストラリアには、富裕層・ビジネスオーナー・資産家などのお金持ちかつ保守派を支持母体とする自由党と、労働者や移民などを支持基盤に持つ労働党の二大政党制となっている。
社会が政治に求めるものは、その時々で異なることは万国共通であろう。たとえば、経済がイケイケな時は株価を伸ばし、法人税などを下げて企業の経済活動を促進するのもありで、自由党が与党の時はこういった政策が優先される。
一方、直近だとポストコロナの厳しい経済状況や、一般的に経済停滞期・インフレで生活苦の人が多くなると、最低賃金をあげたり生活保護・減税・政府補助の見直しをして経済立て直しが必要になるケースが多くなる。すなわち、労働党政権はこういう時に勝ちやすく、労働政権ではこういったことが優先されやすい。一方、もちろんながらこういった政策は企業負担を増すので株価が上がりにくくなる、などといった自由党支持層からは疎まれがちな内容となる。
したがって、二大政党制の民主主義国家だと、国民がその時々で社会が必要とするニーズを支援してくれる政党を選ぶことができる。よって、社会全体でみるとどちらか片方に極端に傾くことも少なく、全体最適されやすいと感じる。
また、各政党の支持基盤も異なるため、特定の社会グループが優遇されることも減る。そして政権交代が現実に起こりうるため、政治家に対しても4年や8年に1回、自身の地位や権力が失われるかもしれないといった緊張感を与えられる。
オーストラリアに住んで5年で、何度か選挙を見てきたが、以上の理由から二大政党制によって政治の公平性がかなり担保されていると感じる。逆に、日本では政権交代は非常に珍しいし、選挙前から大抵どこが勝つかはほぼ確定している場合も多いと思う。こういった状況は、投票率の低迷や、社会の政治への無関心度へ直結すると思う。元から結果がわかっているものに興味を示す人は少ない。
以前のブログ記事にご興味の方はぜひ。
終わりに
異国で暮らすからこそ、いいこともあるし苦しいこともある。日本で暮らしていても、辛いこともあるし、楽しいこともある。結局のところ、個人がどう状況を受け取り、最大限楽しめるかにかかっていると思うこともある。捉え方をいかにポジティブにできるか。それを移住6年目で考えていきたい。