オーストラリア式「仕事観」の腹落ち
この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。
こんにちは。ジュークです。
さっそくですが、10月に差し掛かると、毎年「ああ、もうすぐオーストラリアに移住してXX年目なんだな」と思うようになりました。国際結婚を機に、不安と期待をもってシドニー国際空港に降り立ったのが2018年12月でした。
今回は、オーストラリアに住んでみて5年経ち、「オーストラリア式仕事観」を個人的な経験・考えをもとに、まとめてみたいです。
時間の使い方がフレキシブル
まず前提として、筆者はオーストラリアのIT界隈で営業職としてはや5年間、仕事をしている。
ここで最も感じることは、「オージーは時間の使い方がうまい」と思うことである。これは1日の過ごし方でも思う。たとえば、30〜40代になると、家庭をもったり子供のいる人も増えてくる。そうなると、共働き家庭も多いため、男女ともに仕事ばかりしているわけには当然いかなくなる。
もはや慣れてきてなんとも思わなくなってきたが、たとえば、チャイルドケア(日本でいう保育園)への送迎が朝8〜9時の間、そして夕方16時〜17時にあるとしたら、仕事のカレンダーへ用事として入れておき、ミーティングが入らないようにする人が多い。「そもそも言ってるあるでしょ?」と言わんばかりの感じで。これはこれで賢いと思うことがある。
もちろん、この2時間仕事をしないことがただただ許されているわけではないと感じる。特に営業職では結果が全てな側面が多く、結果が出ていないと「そんなことしてる場合なの?」といったプレッシャーがかかることもある。
そんなわけで、契約書上は9時〜17時であっても、家庭の事情で抜けないといけない時間がある場合は、たとえば、朝8時から仕事をしたり、子供が寝た20時あとに再度、数時間仕事に戻る人もおり、抜けた時間の穴埋めをしている人がよくいる印象。別にこれは会社が強要しているわけではなく、後述の通り、Job Descriptionに定められた結果を出すための、これはこれで「フレキシブルな仕事のあり方」であると言える。
もちろん、一部の企業・一部の職種を除くが、特にIT業界では在宅勤務とオフィス出勤のハイブリッドな働き方が事実上継続しているところが多い気がする。オーストラリアはその広大な国土に加え、東京のように人口密度の高い街もないので、コロナ禍前からリモートワークがある程度定着していた。地理で候補者を絞って探していると、いつまで経っても見つからない部分も少なからずあるようで、「本社はシドニーだけど、一部の社員はメルボルンで在宅勤務」などはコロナ前からごくごく存在していた。
長期休暇が一般的
もう1つ、特筆としたいのは休みの取り方だ。オーストラリアでは、1週間単位の休みが一般的にとられており、1ヶ月や1ヶ月半といったまとまった休みを取ることも珍しくない。
オージーから言わせれば「週末+月曜日などの3日間休んでも疲れなんか取れないだろう」ということなのだろうけれど、3連休があるだけでメディアが盛り上がる日本人からすれば結構カルチャーショックがあるだろう。
私のみている限り、この長期休暇は2つのポイントがあると思っている。一つ目は、「仕事はあくまで仕事である」という豪州の価値観である。これは決して「仕事はサボっていい」という考え方ではなく、「人生には仕事以外に大事なことがある」というニュアンスが強い。たとえば、オーストラリアでいうとそれは、家族や友人、自分自身の健康やキャリア、そういったことだ。
私の個人的な考えであるが、オーストラリア人は勤め先への帰属意識が、これまた個人により違うのだろうけれど、一般的には日本人に比べると薄いことが起因していると思う。一般的に、オーストラリア人は1つの職にとどまる平均期間は3年と言われており、だいぶ変わりつつあるもののまだまだ終身雇用の考え方が世代によっては強い日本とは異なる社会と言える。日本の場合、配偶者との結婚年数より会社の勤続年数の方が長い人もそれなりにいると思われる。
3年に一度、職場関係がリセットされるのであれば、そりゃ帰属意識も薄いだろうし、「仕事へ人生を捧げる」的な考え方は生まれにくいと言える。あくまで「人生の本拠地」は家庭になる。
1点目をまとめると、「人生で最も大事なもの=仕事」ではないということが挙げられる。
2つ目が、Job Descriptionによる組織の「ジョブ型」が定着していることが挙げられると思う。各々の仕事や責任範囲が採用の時点である程度明確化されているため、「ここまでやったら私の仕事は終わり」が感覚として得られやすく、そして「いつごろになったら一定期間休んでも良いかな」といった計画が立てやすくなる・見えやすくなると言える。
営業職でいうと、年始に多くの場合「あなたの年間ノルマはこれです」と言い渡される。極論、この売り上げノルマさえ達成すればどんな働き方をしようが会社からお咎めがないと言える。もちろん違法なことやコンプライアンスに抵触するものは御法度だが、中には、バリ島で2ヶ月間のワケーションをやっていた同僚もいたぐらいだ。社内外のミーティングの多くがオンラインになった今、別にどこから出てもわからないし、結果が出さえすればいいという考え方は強い。
そして、オーストラリアの営業職はその多くが歩合制となっている。つまり、自分の業務結果が自分の収入に直結する。良くも悪くも「なにをすべきか」「なにを期待されているのか」が明確になっていると捉えることができる。
これはやはり、「各々の仕事の明確化」が社会として推奨されているからに他ならないと思う。比較対象として、私が東京でサラリーマンとして働いていた5年前は、たとえ外資であっても、各々の仕事範囲はある程度明確化されていたものの、「よしなにやろうよ」の精神はやはり強く、ノルマもあるにはあったが、それで給与が大きく変わることもなく、良くも悪くも形骸化していたと今振り返ると思う。そうなると、「自分の仕事はいつ終わるのか?」「そもそも自分の仕事はなんなのか?」といった不透明性が生じやすくなる。こうなると、社員の評価基準が曖昧になりがちになり、「なにをしたらいいのか」がわからなくなり、結果として職務そのものよりも「周りからの目」を気にしやすくなり、総合的に「休みにくい」環境になりやすいと考える。
オーストラリアに話を戻すと、逆を言うと、ノルマ達成見込みがないのに長期休暇に入る社員への目は冷ややかだし、そういった社員は大抵の場合、休みから戻ってきた後遅かれ早かれ退職する場合が多いと感じる。
そんな感じに「自分の仕事はなにか」「任務を全うするとはどういうことか」が明確になっているので、それをクリアしてしまえば契約は遂行したことになり、休暇も取りやすいといった算段になる。
あとは単に、企業への帰属意識が低いことから「休暇をとったことを間接的な理由にして解雇にしてくる会社なんてこっちから願い下げだ」ぐらいの感覚でいる人も、少なからずいるように思う。労働流動性が高く、一般的に労働力不足に悩むオーストラリア社会ではこれもアリなのだ。
コーヒーは社交ツール
オーストラリア人のコーヒーへの愛は凄まじい。これは私もオーストラリアに仕事で永住するまで気づかなかった。確かに、オーストラリアのコーヒー文化は有名であり、レベルの高いコーヒーが街中のカフェで提供されている。
そして、ビジネスの場でもコーヒーの持つ力は侮れない。
多くのオーストラリア人は、朝が早い。前述の通り、朝8時前にはオフィスにいる人も多く、7時に家をでてサーフィンやジムに行ってから出勤する人も少なくない。そんな朝早い目覚めに、コーヒーを嗜む人も多い。
そして、オーストラリアで仕事をしていれば必ずと言ってあるのが、上司や同僚と一緒にコーヒーを買いに行くことだ。この誘いは、個人的な経験・感覚ではよっぽどのことがない限り、断らない方が人間関係は円滑になると考える。カフェに向かう道中で世間話をしたり、人気の喫茶店は大抵長蛇の列なので待ち時間の仕事の話をしたり、オフィスに戻る中でまたおしゃべりしたり、といったコミュニケーションツールとしてコーヒーは扱われている気がする。
コーヒーも、オーストラリアにはいろんな種類がある。有名なフラットホワイトを始め、カプチーノ、ロングブラックなど、「そもそも何飲む?」などといったお互いを知る会話から、「今日は俺の奢りだから」などといった「貸し借り」を作る都合にも使えたりする。
これは、日本でいうと、終業後に上司と酒を飲みに行く感覚に近いと個人的に思う。別に断ってもいいけれど、誘いには乗った方が何かと円滑な関係になるというのは日本でサラリーマンをやったことがある人ならばわかるであろう。オーストラリア社会のコーヒーはそれに近い。
オーストラリアでも終業後に酒を飲みに行く文化はある。一方、前述の通り、家庭が持つ社会的意味が強いこの国で、終業後に日本のように終電まで会社の人と飲み歩くことは稀だと思う。飲みに行ってもディナー前に解散か、それこそチームディナーなどといって前もって案内のある会社イベントぐらいだ。
終わりに
オーストラリアで働くと、特に日本で就労経験があるとさまざまなカルチャーギャップがある。私は決して、オーストラリアが絶対的に良いとも思っていないし、日本が絶対的に悪いとも思っていない。両国とも、仕事をしていく上で大変なこともあるし、良いこともあり、あとは個人がそれぞれをどう捉えるか、それだけだと思う。
あとは、郷に入れば郷に従えの精神はある程度受け入れる必要があると考える。特にオーストラリアで日本人は移民であり、マイノリティである。日本の常識のまま生活・仕事をしていると辛い思いをするのは自分であるのは明らかだ。