海外で暮らしていてもやっぱり母国「日本」が気になってしまう件について
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こんにちは。ジュークです。
さっそくではあるが、オーストラリアに移住してもう3年が経過し、コロナ禍もあり日本には2年ほど帰国していない。
なんだか日本が遠くなった気はするものの、Yahoo! Japanなどで日本のニュースをチェックしたりするし、日本のプロ野球の結果は気になるし、日本のドラマや書籍はやっぱり見たくなるし読みたくなる。
結局、「俺はどこまで行っても日本人なんだな」と思うことは1日何回かある。
そこで母国「日本」について思うあれこれを綴って見たい。
「衰退国」としてみられるのはやっぱり残念
今更ではあるが、日本がアジアの盟主でなくなり、中国に取って変わられて久しい。
ここオーストラリアでもお金持ちグループ筆頭は中国である。「中国人=お金持ち」の方程式が成立していると思う。
次点でシンガポール人や香港人。日本はいいところ3、4番手だろう。
これはコロナ前もコロナ後も変わらない。
それでもやはり、例えばオーストラリアの自動車市場のマーケットシェア1位と2位は日本車(トヨタとマツダ)であったり、漫画やアニメといったポップカルチャーではその存在感は揺るぎない。
しかし、全体的に見て日本が衰退しているというイメージは変わらないだろう。
「衰退」に関わるキーワードとしては以下が挙げられる。
- 少子高齢化
- 英語が苦手な人が多い
- 内向き
- ビジネスにおいて排他的で、決断が遅い
- 経済が30年停滞している
まあ、ここオーストラリアも移民問題やモノカルチャー経済であったり問題はあるので、問題があることが根本的な問題なのではないとは思う。
まあ、色々な問題はあるにせよ、結果的に「日本は衰退国だ」と思われていることは非常に私は残念である。
衰退していると言うことは、単純にいえば「ナメられている」ということに他ならない。
個人の経験からも2000年台初頭の時点では「日本は世界の先端を言っている」くらいの位置にいた。インターナショナルスクールに通っていた私は、そう言うふうに母国を世界中から来たクラスメイトが見ていることを誇りに思った。
しかし、今の日本は「安い観光先」「漫画やアニメの国」のイメージが強くなった。それ自体は悪いことではなく、観光業やエンターテイメントの領域で突き抜けていることは誇らしい。
同時にその2つの産業で今後も1億人近い人口を食わせられるのか?押し寄せるアジア発展の波に立ち向かえるのか?そういった懸念は残る。
「日本人は英語ができない」というレッテル
棘のある言い方をするが、日本人は英語に対してアレルギーがあると思う。
それは学生の頃も感じたし、新卒で日本の会社に入った時も思ったし、今日本企業とお仕事をさせていただいていても思う。
日本の英語教育を私は受けたことがないので、みなさんがどのように英語を学んでいるのか私にはわからない。そして海外で育った私の感覚は日本人のそれとはかけ離れていることも承知している。
しかし、日本が「英語圏じゃないから英語ができなくて当然」みたいなスタンスを取れる時代は終わりに近づいている。というかもう終わっていると思うこともある。
これは前述の続きで、「日本が世界で見てもリッチな国ではなくなった」からというのが私の感想である。事実として、一人当たりのGDPで韓国に抜かれ、旧共産圏である東欧のレベルに近づいている国家において世界のスタンダード言語である英語を身につけないというのは自身の選択肢を狭めていると思う。さらに、国家としても衰退を後押ししているようなものだと思う。
もちろん、英語ができたからといって優秀であるとか、お金持ちになれるとか、そういうわけではないというのもわかる。
私の経験でも英語ができた方が「人生の選択肢が広がる」というのが正しい表現だと思う。
80年代・90年代、いわば日本がバブル絶頂期にありアメリカに迫る経済力を有していた頃、世界がジャパンマネー目当てに日本に合わせてくれていた時代があった。英語を学ばずとも、外国人が日本企業とビジネスをするために日本語や日本の作法を学んだ。そう言う時代があったのだ。
なぜなら日本にはお金があったから。
今やOCEDでも下位、G7でも最下位の経済発展力の国になったので、世界からの見方は変わった。
多国籍企業における「別に日本以外の国とビジネスをすればいい」という流れはきている。とうに製造業は中国や東南アジアと商売が加速している印象だ。
それは今皆さんが使っているスマホにおいてもそうだし、今後の新しいテクノロジーが生まれても日本向けに積極的に展開されない可能性すらある。なぜなら、日本に売っても儲からない時代に近づいているからだ。
「日本は老人の国」は本当か
これも不思議なもので、日本で働いていた頃、私は毎日のように少子高齢化のニュースを耳にしたが実感としてはなかった。なぜなら、比較する社会がなかったし、東京に暮らしている以上人がわんさかいて、若い人もそれなりにいたという認識があったからだ。
この感覚はオーストラリアに来てから完全に変わって、疑惑が確信に変わった。
「日本の少子高齢化はおそらく日本社会が思っているより急速に進んでいる」
ここオーストラリアは毎年人口増加が続いており、住宅が不足するなど日本とは真逆を行く国家である。
確かに子供が多いし、若い人が多い。私のいる業界がITというのもあるかもしれないが、50歳以上の労働者をあまり見ない。40代で「百戦錬磨のベテラン社員」扱いだ。
極端な話、日本で働いていた最後の年で私は28歳だったが仕事をしていて自分より年下の人に会ったことがほとんどなかった。製造業という伝統的な業界にいたからかもしれないが、取引先の方々も50代以上が目立った記憶である。
この点において日本政府もいろいろな施策を打っているだろうが、その波が止まっている感覚はない。
以下は2014年で少し古いデータであるが、主要国における年齢層別の人口である。
経済的・社会的・政治的に非常に異なるロシアやブラジルとの直接比較は難しいにせよ、経済規模や社会の熟成度が比較的近いとされるカナダやドイツ、アメリカに比べてもそのチャートの形が歪なのがわかる。
これはわかりやすいところで年金などもそうだし、税金という大枠でもいろんなシステムが機能しなくなることを意味する。
比較:日豪の人口問題
以下に1つ、面白いデータがある。
人口増加率(Population Growth Rate)の日本とオーストラリアの比較である。この図を見てわかる通り、両国ともに70年代半ばにかけて人口減が起きていた。
オーストラリア政府の調査においては、このときぐらいからオーストラリアの白人層における人口減が予想された。女性の社会進出や経済発展の影響による暮らしの多様性など、「先進国あるある」の状況に陥ったのである。これは日本も同じである。
その後の80年代から両国は明暗を分ける。豪州はその後も高い人口増加率を実現するが、日本は右肩下がりである。
80年代〜90年代にオーストラリアは何をしたのかというと、単純な話、移民の受け入れを加速したのである。
「白人人口の減少は止まらないのだから、移民を入れるしかない」といったロジックである。
この時期の少し前にいわゆる白豪主義が違法化されたりしたし、欧州以外からの移民も積極的に受け入れられた。当時は「仕事と永住権をタダであげるからオーストラリアに来て」などといったキャンペーンが政府主導で行われていたようである。今では考えられない。
それ以降、オーストラリアはいわゆる人口ボーナスの恩恵を受けて人口は増えている。
同時に、以下のグラフは日豪の出生率である。80年代から日豪両国ともに出生率は減少傾向にあり、今も減少傾向にはあるが豪州の下り具合は緩やかになっており2005〜2007年ぐらいにかけて増えている。
一方、日本は移民の議論はされてはいるが国家レベルで積極受け入れをしているかというと疑問符が残るというのが正直なところではないだろうか。
もちろん、欧州などをはじめとする移民歓迎派の国々では移民問題が加熱していたりするので、移民政策が誰もが幸せになれる万能な解決策ではないという意見もあるだろうし、私もそう思う。
同時に、人口は国力というわかりやすい考え方もあったりする。
また、オーストラリア政府の調査の一つに移民1世の出生率は高いが、2世の家庭になるとガクッと下がるというデータもあるらしい。なので人口を増やすと言う意味での移民政策は一世の獲得が焦点となるのかもしれない。
終わりに
オーストラリアに現在暮らしており、人生の多くを日本の外で過ごした私もやはり母国「日本」への誇りや愛国心というものはやはり持っている。心の故郷はいつまでも日本なのだ。
したがって、オーストラリアや外から見る日本の評価があまりポジティブでなかったりすると、そういった気持ちが否定された気がしてしまうこともある。
同時に日本社会の抱える問題は非常に大きく、個人が今すぐどうこうできるものでもない気もする。
あえてできるとするならば、英語の習得なのだろう。選択肢が増えるという意味ではそれが最も近道な気はする。
それでは。