ほとんど海外で育った日本人が思う「言語の身につけ方」

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こんにちは。ジュークです。

さっそくだが、本日は海外在住邦人がブログのテーマにしがちな「英語の体得」について私なりにまとめてみたい。

前もって断っておくと、決して「ビジネスで使える英語表現10選!!」「ネイティブが使わない表現20選!!」などのテーマの記事では到底ない。さらに、「英語が30日で体得できる!!」などのネットコンテンツも多いが、この記事はそのような内容でもない。

私が伝えたいメッセージは「何か新しいスキルを身につけるには泥水を飲む覚悟が必要だ」ということで、直球な表現を使えば言語の体得はそんな生やさしいものではないと思っている。

そういった現実を直視できる方のみ、読んでいただければ幸いである。

「英語しか通じない環境」に自分を追い込む

結論と前置き

早速結論から入ってしまったが、結局これしかないと思っている。

自身の体験からいくと、私が英語を学び始めたのは12歳の時だ。正直、ネイティブレベルに喋るレベルになろうと思っている場合にはやはりもっと早く、具体的には3−5歳から始めるのが理想とされていることを踏まえると、とても遅いスタートであった。

私が12歳の時、父親の転勤で海外へ一家引っ越し。その国は準英語圏であったため、インターナショナルスクールに通うことになった。前述の通り、その時の私の英語力は「ハロー」と「グッバーイ」の2文字くらいであった(真面目にそれぐらいしか知らなかった)

なので今でも思うと最初の半年ぐらいは先生やクラスメイトが何を言っているのかのか一切分からなかった。その学校には日本人も一定数在籍はしていたが、私の学年は日本人が極端に少ない学年であり、私のクラスに日本人はほとんどいなかった。

そう、誰も私の言うことを理解してくれないし、私もみんなが何を言っているのかさっぱり分からなかった。

正直、「何が分からないのか分からない」を人生で初めて経験した。

「何が分からないのか」わからないの図

今思うと「言葉が通じない」というそもそもの現象を理解するのに時間もかかったし、振り返るととんでもない絶望感のある状況であった。冗談抜きに、学校へいくのが嫌になったし夜な夜なベッドでよく泣いた。私の両親は良くも悪くも放任主義だったため、学校への入学手続きを済ませると「あとはがんばれ」と一言だけ残して私を教室に置いて帰っていったのを今でも覚えている。

毎晩のように寝る前に「日本に残っていたらこんなことにはならなかった」と海外に連れてきた両親を恨んだ。

今思うと、その体験が今の自分に繋がっている

まず「日本語が一切通じない」「英語しか通じない」環境は今思うと私の英語力を凄まじく磨き上げた。

いかんせん誰も日本語がわからないのだ。英語を喋らないと、先生が何を言っているのかも分からないし、友達もできないし、もっといえば女の子とも遊べない。そう、英語が喋れないと何も始まらないのだ。

私が英語を学び始めた時はまだスマートフォンももちろん普及しておらず、当時の日本人コミュニティではようやく「電子辞書」が話題となっていた。しかし、まだまだ高価な時代であったため、両親はなかなか買ってくれず、私は「紙」の辞書を学校に毎日運んでいた。

そう。しかも和英と英和の2冊を毎日だ。とにかく分厚いのが良いと父親が買ってくれたものだ。

分厚く重かったが、筋肉はつかなかった。

例えば、クラスでプリントが配られる。クラスメイトはそれをさぁーと読んで、先生の説明を聞いてどんどん色々なことを書き込んでいる。

それに引き換え、もちろん私は一切読めない。自分の名前をとりあえず書くが、その先に並ぶアルファベットが何を示しているのかさっぱり分からない。

何から始めるかというと、プリントに書かれている単語を辞書で1つずつ調べて、プリントに1つずつ和訳を書いていく。それを繋げて「こんな感じかなあ」と理解していく。しかし喋ることができないので、誰にも確認しようがない。自分の理解が正しいのか、隣の席に座ってるクラスメイトに聞くこともできない。率直にいうと、生き地獄だった。

この方法が正しかったのか間違っていたのかわからないが、当時12歳の私にはそれしか思いつかずこれを結局1年ぐらい続けた。今では笑い話だが、当時はとにかく悔しかったし、とにかく苦しかった。日本語でならば5秒で済むことが、何分も時には何時間もかけないと言いたいことも言えないのだ。ポイズン。

今でも覚えているが、最初の覚えた文章は「where is the bathroom? (トイレはどこですか)」だった。人間、トイレに行けないことほど苦しいことはない。

1年も続けたら楽になった

不思議なもので1年も経つとだんだんと先生のしゃべっていることがわかってきたり、クラスメイトとの会話にも入れるようになった。

2年もたてば主な不自由がなくなり、3年でいわば「独り立ち」できる英語力を手にした。今の私の土台を作った3年間と言って過言ではない。

結局私はこのような「英語しか通じない」環境に高校を卒業するまでの計6年間身を置くことになった。6年の終わりには、英語力もネイティブ並みに近づき、英語で討論をしたり、英語で女の子とデートして告白したり、アメリカ人と同じクラスでシェイクスピアを原文ママで読むクラスに入るなど今思うと頑張っていた。

その英語力と経験がなければ、海外大学への進学やオーストラリアへの移住と就職も叶わなかった。

これも全て「日本語が一切通じない」「英語のみの環境」に、きっかけは受動的にせよ自分がいたからにほかならない。

そのような環境をどう手に入れるか

オーストラリアで学生をしていたときや働き始めてからも出会う日本人留学生やワーキングホリデーのみなさま、こっちで国際結婚した方々に「どうやったら英語がうまくなるか」をたびたび聞かれる。

まず前置きしておくと、私はそのような人たちを冗談抜きで尊敬している。私は両親の転勤に金魚の糞のようについていった結果、英語を体得したにすぎない。しかしこういった方々は、己の意思で外国に身一つで渡ってきているのだ。そのガッツと覚悟には尊敬の念しか覚えない。

話を戻すと前述の通り、私の回答は「英語しか通じない環境に身を置く」である。

言うのは簡単だが、特にグローバル化が進み、スマートフォンとインターネットが普及した現在その環境を得るのは難しいのではないかと思う。

まず比較的に行きやすい・住みやすい外国の都市に日本人がいないという前提が実現しにくい。自問自答になってしまったが、グローバル化がものすごいスピードで進んでしまったため、良くも悪くも「日本人にとって行きやすい」街に「日本人がいない」訳がなくなった。

例えば、ワーキングホリデーの人気渡航先といえばオーストラリアやニュージーランドやカナダであると思う。しかし現実問題として、これら国々の主要都市には日本人が大量に住んでいるかすでに留学している。ビザを取得し、いざ現地の英語学校に通ったはいいもののクラスの半分以上が日本人で、日本語で生活ができてしまっているという話を聞くことも少なくない。

オーストラリアを例にすると、日本人経営の美容院に行く、日本レストランやスーパーに行き、日本人とルームシェアをし、日本人と遊んでいれば英語が一切喋れなくても一定の生活はできてしまう。

クラスメイトが日本人でなくとも、同じく英語のできない非英語圏出身者が多い場合も必然的に多い。その場合、もちろんクラスメイト同士に共通言語がないためコミュニケーションが成立しない。結果、同じ国の者同士でくっつき、英語が磨かれないという悪循環に陥る。

また、インターネットが普及した現代では日本語コンテンツへのアクセスが非常に容易になった。Youtubeを開けば日本語動画はいつでも見れるし、Yahoo! Japan もTwitterもフェイスブックもいつでも見ることができる。悪い表現を使うと「逃げ場」がいつでも手のひらにある。

私が英語を学んでいた時、インターネットもようやくADSLが一般家庭に普及しようかというタイミングであった。もちろんYoutubeもTwitterもない時代。日本語コンテンツへのアクセスは、数ヶ月に一回祖母が日本から送ってくれるVHSに録画した日本のバラエティ、ドラマやアニメ。もしくは現地の「日本人会」が運営する「日本図書館」で借りる本・漫画くらいのものだった。無論テレビも現地の番組ばかりなので、いやでも英語が耳に入ってくる。

当時は日本語のドラマやアニメが見れないことが苦痛であったが、今思うと逆にそれがよかった。日本語が入ってこないわけなのだから、いやでも英語のドラマや曲を耳にし、それが気づかない間に英語力向上に貢献していた(かもしれない)

現代でそのような環境を手に入れるのは良くも悪くも非常に困難になったのではないかと思う。

今覚えばこういう環境を打破しようと、私が学生の頃には日本の大学からの留学生の中に「留学中は日本人と喋らないことにしてる」というポリシーで私たち在外邦人と会話さえしてくれない人もいた。

「英語環境」を100%に近づけるには、スマホから日本語設定を消したり、言語も英語にするなどの「縛り」を設ける必要もありそうだ。

「子供だったから英語体得できたんじゃないの?」への反論

正直な話、12歳という年齢だからこそ英語を体得できたこともあると思う。これは単に子供の方が「飲み込み」が早いということではなく、今思うと「無駄なプライド」がない年齢だったことも影響していると考える。

やはり人間というものは年齢を重ねるとプライドが相応に積み上がっていく。

言葉を変えると「私はそれを知らない」と言えなくなる。何かについて「知らない」というと周りに馬鹿にされるのではないか、恥ずかしくて言えない、カッコ悪い、見栄を張りたいなどの動機から素直に「知らないこと」を「知らない」と言えなくなる。

私も仕事をしていてオーストラリア人が時々、教科書などでは到底出てこないような、とても砕けた表現を多用し正直何を言っているのか分からない状況に遭遇することは結構ある。

これは日本語で言うところの「ヤバい」とか古いダジャレの「マジンガー?」、ネットスラングの「ワロタw」とかそういうものだと思っている。もっと言えば、ビジネス日本語の「ホウレンソウ」「いってこいでやれ」なんて日本人でも学校で習わないのと同じだ。

話を戻すと、そういった相手が何を言ったのか分からないことを、プライドが邪魔をしてわかったふりをしてしまう、適当に笑って相槌を打って流す。私ももちろんあるし、誰にでもあることだとは思うが、これは学びの機会を1つ損しているとも言える。そこで「わからないんだけど、どう言う意味?」と聞き返せるかで状況は変わる。

私も今でもオーストラリアのニュースキャスターやテレビ番組で何を言っているのか分からない時はもちろんある。そう言う時はできる限り奥さんに聞くようにしている。「これってどう言う意味?」「これってこう言う意味?」と聞くと時々奥さんに笑われるが、まあ仕方がない。

今思えば12歳の私はこの意味では無敵だった。知らないことはなんでも知らないと言っていただって英語を一切知らないんだから仕方ない、逆にお前ら日本語しゃべれるのかよと思っていた。このことで笑われたこともあったし、「大丈夫かこいつ」を罵られたことも少なからずあったが、その度に1つずつ英語表現を学んで行った。

結論ないものはないし、あるもので最大限の体得をしていくしかない

そもそも100%完璧な環境などない

繰り返しにはなるが、私が英語を学び始めたのが12歳と比較的遅かったため今も英語がネイティブレベルかと言われるとそうではないと感じる。やはり3歳や5歳から学び始めた人たちとは劣りを感じるし、もちろんネイティブのオーストラリア人と話すとやはり自分の会話テンポの遅さを痛感する。

当時私は持てなかった電子辞書を持つ、比較的裕福な家庭のクラスメイトが羨ましいと思ったこともあった。私が何分もかけて調べることを、富裕層の人々は一瞬で調べてしまうのだ。

しかし、100%完璧な環境を待っていたら何もできないのも事実である。

というのも、理想は誰もしも「できるだけ幼い時から英語を学び始め、日本人のいない環境、そしてネイティブ並に成長する」であるが誰もがそんな環境と結果を簡単に手に入れることができるわけではない

そこで求められるのが冒頭で触れた「泥臭い努力」なのだと考える。環境が100でなければ、努力でそのギャップを埋めるしか方法はないのではなかろうか。

このような状況を「0か100か」で考えてしまうと何もできない

このようなケースでは、自分なりに「60の落とし所」や「80で満足しようじゃないか」と割り切ることも大事だとは思う。いきなり「ネイティブレベルまで英語力を磨く」目的ではやはり苦しいこともあるだろうし、気が遠くなることもある。「まずは英会話レベルまで頑張る」や「まずは教科書の一文目を読めるようになる」といった小刻みな目的意識も有効だと思う。

大きなところでは、私の知り合いの中には二十歳を超えてから海外留学1年をして、日本で仕事を十分にできるレベルまで体得した知り合いもいるし、逆に幼少期から英語圏に住んでいても英語力がそれほどの人もいる。

当たり前のことだが、今私がいくら祈ったところで5歳の自分には戻れないし、私の都市に住む日本人が全員いなくなることもない。朝目が覚めたら英語がネイティブ並にいきなりなることもない。

結局は、その環境をいかに活かし最大限のリターンを得られる努力をするかに懸かっているとは思う。大抵の場合、その努力には自発的に「泥臭い」行動をとるが求められ、時には人に笑われたり、小馬鹿にされることもあるがそれも折り込み済と割り切れるかだと考える。

終わりに

私も今ではこんな偉そうに英語について語ってしまっているが、12歳の頃の私は正直よく馬鹿にされたものだ。幼少期から英語を学びペラペラになっている日本人同級生や先輩からは「こんなこともできないのかよ」と言われることもあったし、ネイティブのクラスメイトから「日本人はこれだから困るぜHAHA!」と言われることも少なからずあった(※かなり盛ってます)

結局のところ、英語にせよプログラミングにせよいかなるスキルにせよ、一度は泥水を飲む覚悟をして、実際に泥水を飲む経験が人を強くするのだとは思う。それを自分の人生のどのステージで経験するかだけの違いなのだ。

もちろん道半ばで諦める人もいれば、心の病になってしまう人、最初からやる気のない人などもいる。受け取り方は人それぞれだし、特段他人の価値観を矯正しようなんだなんて思わない。

ただ華やかなことだけで生きては行けない。そう私は思っている。

海外で育った日本人についての考察もまとめていますので、ご興味の方はぜひ。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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