海外で育った日本人と”third culture kid”について考える

最終更新日

こんにちは。ジュークです。

早くも今年も2月に突入しました。ついこの前年が明けたなと思っていたらすでに2月となり、体感スピードと時間の流れが追いつかないこの頃です。

さて、本日は自身の体験も交えながら「海外で育った日本人」について綴りながら英語圏ではその言葉が確立しつつある「third culture kid」も考察したいと思います。

今更な表現にはなりますが、昨今加速するグローバル化に伴い自国以外で育った子供の数も増え、かつてそのような環境を経験した子供たちが大人となっているのではないかと思います。

third culture kid とは

Wikipediaによればその定義は以下の通りとなっています。

Third culture kids (TCK) or third culture individuals (TCI) are people who were raised in a culture other than their parents’ or the culture of their country of nationality, and also live in a different environment during a significant part of their child development years. (Source: Wikipedia)

日本語で簡単にまとめると、「自身または親の生まれた国・文化以外の環境で育った子供、もしくは成長して大人になった人たち」となります。

例えば、二人の子供を持つ日本人夫婦が転勤でオーストラリアに5年駐在したとするとこの子供二人がThird Culture Kid(TCK)に当たることとなります。

このような子供たちの両親の多くが海外転勤の多い職業、例えば多国籍企業・政府機関・軍・宗教団体で働いているケースが多い。もしくは、シンプルに両親が第3国に移住したケースも当たります。

日本ではこういった子供たちを総じて「帰国子女」と呼ばれることもありますね。

TCKや帰国子女は一見、「海外経験が豊富」「語学能力が高い」「環境適応力が身についている」「異文化への理解がある」などのプラスな側面が注目されます。特に日本ではその英語需要から、特に英語圏への駐在を希望する人も少なくないと思います。さらに、帰国後の大学受験や就職活動でも「英語力」「海外適応力」といった点に着目して選抜されたりもします。

???「私はグローバル人材です!」

私自身もこのような経験があるので、大学受験や社会人となってからもそのメリットも大きい一方で、なかなか話題になりにくく社会的に認知がされていない苦労する部分、特に「アイデンティティークライシス(identity crisis)」や「母国へ戻った時への適応」などについて本記事で掘り下げてみたいと思います。

母国への理想と現実

私の「日本」

私のケースで考えてみます。

私は父親が海外転勤の多い職業をしておりましたので、大学に入るまでのほとんどの年数を海外で過ごしました。海外といっても英語圏のみならず複数の文化圏、それも先進国のみならず発展途上国にも滞在しておりました。

もちろん私の両親は日本生まれ・日本育ちの生粋の日本人で、両親や祖父母や兄弟とのコミュニケーションは今も昔も日本語です。一方で海外生活中は、自宅を一歩出ればその国の言葉と文化でしたし、当時の両親の教育方針により私は現地の日本人学校には一切通わず高校卒業までインターナショナルスクールに通いました。インターナショナルスクールは、各国の駐在員の子息などが集まる学校となっておりますので英語という共通言語の元、生徒のみならず先生も多文化・多国籍な環境でした。

私の経験上から言えることですが、各国の日本人学校は「親の転勤で日本を離れざるを得ない子供たちに日本の義務教育を提供する」ことが目的とされていることが多いです。そのため中学校までの日本人学校がそのほとんどで、多くの日本人家庭は子供が中学3年間を迎えるまでに帰国する場合が多いと感じました。よってインターナショナルも中学3年生までは少なからず日本人が在籍しておりましたが、高校生となるとその数がガクッと減る印象です。よって、私は高校3年間は日本人と接することが家族以外ない環境でした。

話を少し戻すと、そのような環境で育った私の中の「日本」とは家族や祖父母と話す言葉、親が教えてくれた文化、一時帰国の際に「遊びにいく」場所として捉えていました。

それまでの私にとっての日本とは、おいしい食べ物に溢れ、便利な交通機関、なんでも売ってるデパート、面白いテレビや漫画があり、人も優しく丁寧な素晴らしい国でした。もちろんそのような側面を否定するわけではなく、実際にそうだと今でも思っています。子供の頃の私は、そのような国へ一時帰国できることがいつも楽しみで、夏休みや冬休みが待ち遠しかったです。

日本に初めて住むことになった

転機となったのはオーストラリアで大学を卒業後、日本へ就職活動のため本帰国した時でした。もちろん幼少期に日本に住んでいたとは言え、記憶もほとんどなくこれまで日本に行った時も一時滞在でしたので本格的に根をおろして「住んだ」ことがそれまで一切ありませんでした。そんなわけでその時が私の中では「初めて日本に住む」こととなりました。

そこからオーストラリアに結婚を機に移住するまでの6年間は正直苦労の連続でした。就職活動では海外の学校ばかり記載されている履歴書をみられては「日本語はしゃべれるのか?」「日本国籍は持っているのか?」「日本のマナーや作法は身についているのか」「日本人とコミュニケーションはとれるか」などと面接で聞かれました。無事就職が決まっても、職場の人に冗談まじりにそう言ったことも言われ、時々「馬鹿にしてるのか」と思うこともありました。今思えば、当時の私の日本語スキルは正直「ヘンテコ」な側面もあり、日本の芸能人などについても無知で、そういう質問されても仕方のない部分もあったと言えます。

今だから言えますが、上司・先輩や同期とは話が正直合わない部分もありました。これは特段個人的なことではなく「共通点」の少なさだと感じるところもあります。例えば、同期の多くが幼少期や思春期に経験したドラマやバラエティ番組、映画などのエンターテイメントや学校のイベントについて、私はもちろん経験がありません。同期が飲み会で文化祭や体育祭のことを話されても、上司が80年代に流行った歌をカラオケで歌っても、私には全然ピンときません。

また、日本特有の年齢によるヒエラルキーや作法・敬語、強い集団意識、独特なビジネス日本語、「空気を読む」コミュニケーションなどにも苦労しました。もちろん英語圏にも「空気を読む」風潮は少なからずありますが、日本のものとは少なからず異なるため最初は上司やお客さんが何を言っているのか理解が追いつかない場合もあり「何度言ったらわかるんだ!」と怒られることもありました。たぶん当時の上司からすれば、他の新入社員には「3」言えば伝わったのに私には「10」くらい言わないといけなかったのでしょうね。

新社会人の私「こんなの俺の知ってる日本じゃない…」

集団意識との葛藤

海外からの帰国者が苦労する定番は敬語であると思いますが、私はそれ以上に「強い集団意識」により苦労しました。これはかなり一般論ではありますが、海外で暮らし英語の全くできない環境から英語を学び学校に馴染んでいった子供たちは共通して「強い独立心」があると感じています。もちろんチームワークを大事にすることは当たり前ですが「自分のことは自分でやる」が良くも悪くも精神的に確立されていると感じます。よって、日本社会でありがちの「みんなで一緒にやる」「みんなの空気を大事にする」といった集団行動に馴染むことが大変だった時期もありました。

こういったとき、私は「日本で育ってないんだからしょうがないじゃないか」と心の中で思っていました。知らないものは知らない、だって日本で暮らしたことがないんだから、と。同時に相手の視点になって考えると、「見た目も日本人で日本語も喋れるのになんで伝わらないんだ」というフラストレーションがあったのだと思います。そう、私の育ちや背景を話す関係までになれば「ああ、そういうことね」と理解してくれる人がほとんどでしたが、その関係が構築されるまでの時間やプロセスでは相手をイラつかせてしまうこともありました。

故意にやっていたわけではもちろんなく、必死になって「空気を読む」を試みたり上司の言葉を理解しようとしても空回りすることもありました。

やがて不安が募っていく

こういうことが続くと、「俺って本当に日本人なのかな」という不安が心の中で大きくなることもありました。これが前述の「アイデンティティクライシス」の1つです。海外に住んでいた時ずっと「俺は日本人だ」と思っていたのにいざ帰国してみたら同郷だと思っていた人たちとコミュニケーションがスムーズにとれない。変にしゃべって怒られるのが嫌になって、発言するのが億劫になったり、わからないことをわからないと言えなくなることもありました。

結論、そして日本帰国前まで「日本」という国に対して持っていた「期待」「イメージ」が現実と異なることを仕事を通じて経験します。残業やパワハラまがいの説教、満員電車での通勤、理不尽に客先に怒鳴られたり、上司が帰るまで部下は帰れない「謎ルール」、飲み会での理不尽なイロハなど。

私も、自身と日本という国への今まで自分が持っていたイメージと現実のギャップに苦しむこととなりました。

TCKへの処方箋

こういった「母国へ戻ってから適応に苦労する」ことは海外に長い日本人に限った話ではありません。オーストラリアも移民大国でありますから、大学で同じような環境で育ったオーストラリア人やアジア人と知り合うケースもあり、生まれた国も育った国も異なりますが、「母国に戻ったら苦労した」話で盛り上がったこともありました。

究極的な話をするとこれは「理想と現実」の理解をどこまでできるか、自分の中に落とし込めるかの議論だとは思っています。

話を少し戻して、母国に戻ることで苦労したことが無駄であったかというと私は無駄だとは思いません

このブログで繰り返し述べていることになりますが、この世界には「完璧な国」など存在しないわけです。そんなことは誰でもわかっていますが、実際に落とし込めている人はどれくらいいるのでしょうか。また、海外に住んだらその国の言葉が無条件に身に付くと思って留学・ワーキングホリデーに行き、その理想と現実に苦しむ人も少なくないと思います。

私の知る限りでも海外での暮らしに適応できず半ば引きこもりになってしまった日本人や、学校に馴染めず苦労した日本人の同級生も少なからずいました。こういったケースは、親の「英語圏に住んで英語を身につけて欲しい」という期待と現実についても考えさせられます。

また、英語圏の現地校やインターナショナルスクールに通ったからと言って、無条件に英語がペラペラになるかと言われると私の経験上言えるのは「ノー」です。そもそも論にはなりますが、我々の母国語である日本語も小学校6年間・中学3年間・高校3年間とほとんどの人が12年かけて学んでいます。なのに海外に行ったからといって1年や2年で英語が果たして体得できるでしょうか(体得する・目標とするレベルにもよりますが)

TCKや帰国子女として得られる経験の最大の財産は、わかりやすいところでこういった語学力などももちろんありますが、「理想と現実」を身に染みて感じられることだと思います。

前述の通り、TCKであろうと帰国子女であろうとどこまでいっても「日本人」である事実からは逃れられません。それは海外に出たらなおさらです。よって、自ら「母国・日本とはどういう国か」「自分の理想と現実はどうであったか」を少なからず苦労を通して経験をすることはとても大きな財産であると思います。

私も日本で働いた経験がなかったら、今でもヘンテコな日本語をしゃべり、的外れな日本への理想を抱いたままここまで来ていたかもしれません。当然の如く、教科書やドラマからだけでは学べないことが多いですから。

終わりに

昨今は海外転勤や移住をする方が増えたので、TCKや帰国子女の絶対数も増えていくのではないかと考えています。私が就職活動をしていた2010年前半でも留学生の採用が外資系企業はもちろん、日本企業でも活発でした。その後の転職活動でも英語人材は売り市場となっていたので、その需要と価値は日本において根強いと思います。

同時に、そのようなプラスの側面だけではなく海外に育ったから苦労したこともあることを理解できるような社会が望ましいと思います。海外生活は華やかに見える側面もあれば、現地の言語や文化を1から学ぶ必要があったり、その文化と自分が合わなくても合うように動かないといけないなど様々な葛藤があったりします。

TCKや帰国子女の絶対数は増えているとはいいつつ、どの国でもその人口と比べるとまだまだマイノリティでありその声は小さいのだとは思います。

まだまだ「帰国子女=英語が喋れる」的なイメージが根強いですが、帰国子女である価値・アイデンティティはもっと深いところにあると考えています。

もしあなたの周りでそういった経験の方がいらっしゃり、苦労されていたら、そっとサポートいただけると私はとても嬉しいです。

私の大学を通しての経験談も下記にまとめていますので、ぜひご覧くださいませ。

それでは、今日はこの辺で。

Juke

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