1泊2日でニューカッスルに行ってきた!

最終更新日

newcastle beach

この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。

こんにちは。ジュークです。

この間のお休みに、奥様と二人でNSW州はニューカッスル(Newcastle)に行ってきました。

ニューカッスルとググると英国のニューカッスル(サッカーなどで有名ですね)が検索上位に出てくる悲しい側面もありますが、オーストラリアにもニューカッスルという都市があります!

シドニーから車で北上すること1時間半〜2時間程度、こぢんまりとした港町です。日頃の疲れを癒すには最高の場所だったので、ぜひご紹介させてください!

まずニューカッスルがどこにあるのかから

まずはおなじみのオーストラリアの地図から。オーストラリア大陸の東海岸に有名な都市であるシドニーやメルボルン(東というか南海岸)が集中しています。首都のキャンベラもどちらかというと東海岸ですね。

すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ニューカッスルは決して国際的に見て大きな都市ではありません。オーストラリア国内では第7位の人口とはなっています。

(出典:Wikipedia)

ニューカッスルの人口は約50万人。この規模は日本でいうと愛媛県松山市、東京都江東区、千葉県市川市などと同じくらいのサイズということになりますね。

話を戻すと、ニューカッスルはシドニー北部にあります。地図で言うとこのあたりでしょうか。

それではさっそくニューカッスルのご紹介です!

まず海が綺麗!

海がとにかく綺麗でした!

下の写真は Newcastle Beachで、シドニーのボンダイやマンリービーチと比べても人が圧倒的に少なく、水も澄んでいました。子連れも多かったので、家族でも落ち着いて遊べる空間だと感じました。

撮影・筆者

朝8時くらいに朝食前の散歩にも出かけましたが、圧倒的爽快感がたまりませんでした。

この時間帯だと人もまばらで、ほぼビーチを独占状態!磯や浅瀬や、子供用に作ってあるプール的な空間もあったりました。私は子供の頃のころを思い出して、磯遊びをしてしまいました。お目当てのカニはいませんでしたが、小さい魚がちらほらいましたね。写真が映えるところでした。

Newcastle Beach – 朝8時くらい

Goldbergs Coffee House

写真を撮り忘れてしまったのですが、ニューカッスルでも有名(らしい)カフェのご紹介です。私はブランチのため11時ごろ訪れましたがすでに満席で、少し待ちました。歴史を感じつつ地元のお客さんが多い印象を受け、ワイワイガヤガヤしてるカフェでした。

コーヒーもしっかりとした味で、ご飯も美味でしたのでおすすめです。

ANZAC Memorial Walk

世界的にあまり知られていない側面もありますが、オーストラリアは2度の世界大戦に兵士を派遣しました。特に第一次世界大戦はオーストラリアが国家として独立してから初めての派兵だったため、豪州社会ではまさに「歴史がその時動いた」と重要視されています。そのとき派遣された兵士は ANZAC (Australia and New Zealand Armed Corpsの略称) と呼ばれており、ANZAC Dayなどの国の祝日があるなどその貢献と社会的影響は大きいものです。

私もこのメモリアルウォークを訪れるまで全くの無知でしたが、ニューカッスルからも100名以上の若者が第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に派遣されてました。その貢献と勇気を称えて、このメモリアルウォークが作られたようです。

こちらは丘の上にありますので、暑い日だと登るまでが少し大変ですがそこからの景色は最高でした。海が「青」ではあるのですが、いわゆる「ターコイズブルー」でもあり、他では見たことのないほど澄み切っていました。

これぞオーストラリア1億ドルの景色(適当)

なおこちらは当然観光スポットにもなっており、時間帯によっては駐車場がとても混み合います。私はブランチを食べた後なので、正午前後に行きましたが満車で駐車できるまで結構順番待ちをしました。ご興味の方は朝早く行かれるのがよいかもしれません。

オーストラリア有数の工業都市

ニューカッスルは国際的にも観光的にもシドニーやメルボルン、ケアンズに比べると名前がそこまで有名ではないかもしれません。

しかしながら、オーストラリア経済、特に工業や資源産業からみると大きな拠点であります。

ニューカッスルの大雑把な歴史から説明させていただくと、理解しやすいかもしれません。

オーストラリア大陸へのヨーロッパ人の入植は、1790年代から始まりました。その後、イギリスが最初に植民地化の拠点としていたシドニーが大都市になりつつあり、イギリス帝国が当初オーストラリアに期待していた「流刑地」としての実態と隔たりができつつあった。

そこでシドニー近郊に新しい流刑地を建設することを決め、比較的開墾しやすく海に近い、今のニューカッスルのある土地に目を付け、都市開発が始まる。

1820年代には人口増と共に、造船産業が成長を見せる。当時よりオーストラリアの主力輸出品であった石炭などの資源の輸出港としての存在感が高まる。

2度の世界大戦では、オーストラリア軍のみならず連合軍への物資供給拠点として栄える。

時を経ても、ニューカッスルは今もオーストラリア東海岸の主要港の1つであり、泊まったホテルからも下記のような大型貨物船が入港するところを幾度も見ることができました。

突然現れるので結構ビビる。

オーストラリアの歴史については以下の記事にもまとめてみましたので、ぜひ読んでみてください。

まとめ

我々夫婦がニューカッスルを訪れたのも、良くも悪くもコロナウィルスの影響がありました。

というのも、メルボルンを始めとする他州の都市にはなかなか行きづらい。まあ、行こうと思えば行けますが州境の規制は突然変わりますしいつ閉鎖になるかもわからないので越境は難しい。そうなるとニューサウスウェールズ州内で車で簡単に行けるところから、ニューカッスルに白羽の矢が立たちました。

オーストラリアの地方都市の例外にもれず、基本的に人口は小さくそれほどエンターテイメントがあるかと言われると少ない都市でした。なので、いわゆる「都市の娯楽」を求められる方には合わないかもしれません。

ただ、ニューカッスルは酪農で有名なハンター地方(Hunter Region)にも囲まれているため食べ物は新鮮でとてもおいしかったです。いわゆる田舎町でもあるため、人も優しく車も少ないのでとてもリラックスできるところでした。

日々の疲れをぼんやりして癒すには最高の場所でした。

是非皆様も日々の疲れを癒しにいってみては。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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