私とオーストラリアの数奇な繋がりについて独り言を書いてみる

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こんにちは。ジュークです。

さっそくであるが、Apple創業者であるSteve Jobsは2005年、米国スタンフォード大学の卒業式で以下のような名言を残した。

… you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

前向きに点をつなぐことはできず、後ろ向きにしか点をつなぐことができないのです。だから、将来、点がどうにかしてつながることを信じなければなりません。自分の直感、運命、人生、カルマなど、何かを信じなければなりません。この方法は私を失望させたことはありませんし、私の人生に大きな違いをもたらしました。

https://news.stanford.edu/2005/06/14/jobs-061505/

なんでこんなエモいことを言うのかと言われるとよくわからない。

最近子供が生まれたこともあり、自身のことや家族のこと、これまでのことを考える機会が増えた。私の人生はSteve Jobsのような華やかなドラマチックなものではないが、もし点と点をつなぐことをするのであれば、それは私とオーストラリアという国の繋がりであるとこの頃思うようになった。

行ったり来たり

私が人生で初めてオーストラリアの土を踏んだのは、4歳ぐらいの時だった。父の仕事の関係で家族で引っ越したのだ。

当たり前ながら、当時の記憶は私にはほとんどない。

当時の私もまさか、この後も何度もこの国に来ることになり、まさかこの国の女性を結婚して子供が産まれ、この大地で父になるなんて夢にも思っていなかった。

それはさておき、当時の私は現地の幼稚園と小学校に通った。

当時はアジア人は珍しい存在であった。それゆえ、お昼のお弁当におにぎりを持っていた時のことを今でも覚えている。

今では日本食が大人気のオーストラリアであるが、当時のオーストラリアの子供達には衝撃的であったらしく「なんだこの食べ物は!!」とクラスが騒然となり、収拾のつかない大騒ぎになった。私は子供ながらに恥ずかしさと転校数日目にして思っていたのと違う展開で目立ってしまったことから、複雑な感情を抱いた。

お弁当を作ってくれた母に悪気はもちろんなかったのだが、当時の私は母に「2度とおにぎりをお弁当に入れないで!!サンドイッチにして!」と泣いて懇願した(今思うと母に悪いことをした)

そんな波乱万丈のオーストラリアの初滞在は2年ぐらいで結局終わった。

次の接点は大学時代にまで先になる。私はオーストラリアの大学に単身留学し、結果3年間を過ごした。

このとき初めて私は「オーストラリアに住むこと」への興味を持った。両親が転勤族であったから、どこかに長く定住したことがなかった私も、今思えば「ここに住んでみたい」と初めて思った。

私は日本生まれであるし、両親も日本人である一方、人生に占める海外生活がとにかく多い。それもいろんな国の様々なバックグラウンドを持つ子供の多いインターナショナルスクールで思春期を過ごした。そのこともあって、十人十色の意見があるとは思うが、その後社会人生活を過ごして感じた日本社会で求められる「日本人であること」に精神的にとても苦労した。

具体例を出すのは難しいのだが、「●●だから✖️✖️」といった総括的な考え方が私はとにかく苦手だった

私の一風変わった経歴を知った人たちは、冗談や愛嬌もあるのだろうか以下のようなことを私によく言った。

「日本人なのに知らないの?」「本当に日本人か?」「やっぱ帰国子女は違うね〜」

軽い発言だったかもしれないが、都度私はイラッとしたし、

「人はみんな違うのだから、人それぞれでいいじゃないか」

そう思った。

ここオーストラリアにそういった社会的ステレオタイプが全くないとは言わないが、日本よりその度合いは限定的であるとは思う。そもそも移民の比率が高いこの国で、「●●だから✖️✖️」の固定概念は通用しない現実もある。

大学時代、その寛容性と言っていいのかはわからないが、そんな環境が私にとっての「住みやすさ」に直結した。大学生活を通して自分と同じような経験をした人たちに初めて出会うこともできた。大袈裟な表現を使うと、なんだか初めて自分の存在を認められた気がした

よくあるパターンとなるが、オーストラリアに大学卒業後も定住・労働するビザを取得する選択肢がなかった私は、泣く泣くこの国を後にした。その後は日本で就職活動を行い、思えば7年ほどサラリーマン生活を送った。

3回目のオーストラリア生活は、学生時代に知り合った奥さんと結婚を機に、オーストラリアに移住することを決めた2018年だ。

この移住はこれまでの両親の加護の元ではなく、言い方は乱暴だが私の中では「単身殴り込み」に近い覚悟だった。

なにせ日本での仕事もやめた。移住時にオーストラリアで仕事を得るツテも全くなかった。0からオーストラリアで生活基盤を作っていく。

「この身一つでお金を稼いで家族を守っていくんだ」

飛行機の中で、そう思ったことを今でも覚えている。そう思わないと辛い部分もあった。

色々あったが移住4年目を迎えようとする今、色々な人に支えられながら、仕事も日々チャレンジが続くが成長を実感できるものを手に入れ、この土地で新しく知り合った友人も増え、子供も産まれた。

もちろん良いことばかりではないが、概ね順風満帆なのではないだろうか。

オーストラリアがつないでくれた「点」と「点」

結局、オーストラリアに3度住むことになり、都度滞在して無意識に作ってきた点が繋がり、現在ようやく「線」になってると思う。しかし、これがオーストラリアでならなかったかというと、そうでもない。

いくつかの国にいろんな立場で住んで思ったことだが、根本的にはどこに住んでいても変わらないと思う。もちろん、仕事の選択肢や教育の幅、友人の有無や言語・文化などの「目に見える違い」はある。

それにとって人生の選択の幅が狭まることもある。

しかし、根源的には「どこにいるか」よりかは「誰といるか」がウェイトとしては大きい気がする。

私にとって、人生の「点」と「点」が繋がる人生の要所で必ずオーストラリアという国が登場したと今振り返ると思う。

その点と点をつなぐのは、大いに自分自身ではなく、自分が関わる人なのだ、と強く思う。

いかに自分の人生の「点」と「点」をつなぐことができる人たちを関わり、人生を前に進めていくか。

そんな気がする。

そういった意味では、オーストラリアにそういう機会を与えてくれたことに感謝しているし、この国で頑張っていくことの自分の中での落とし込みができていると思う。

これから

これまでの人生で、オーストラリアは私にいろんなことを教えてくれた。

留学。人生の伴侶との出会い。結婚。就職活動。転職。そして父になるということ。

これからこの国で、どうやって生きていくかなんて壮大な人生プランはないが、自分の子供にもそういった人生の点と点を結んでいくことの大切さ、そしてそれは未来に向けて見えることではなく、過去を振り返ることでしかわからないということを理解してもらえれば良いと思うし、そういう父親になれたらと思う。

Steve Jobsは冒頭でシェアしたスピーチの最後を以下のように締め括っている。

“Stay Hungry. Stay Foolish.” It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

“Stay Hungry. Stay Foolish.” それは、彼らがサインオフするときの別れのメッセージでした。Stay Hungry. Stay Foolish. 私はいつも自分自身にそう願ってきました。そして今、皆さんが卒業して新たなスタートを切るとき、私は皆さんにそう願っています。

https://news.stanford.edu/2005/06/14/jobs-061505/

人生で大きな決断をするとき。それは誰にでもやってくる。

私も日本での仕事と生活にピリオドを打ち、オーストラリアに移住することはそれなりの勇気が必要であった。同時に、今はその勇気を出した自分を褒めてあげたいし、その決断は間違いではなかったと思える。

当時の私の決断を「馬鹿げている」「うまくいくはずがない」と罵った人たちもいたが、肝心なのは自身の決意と日々の行動なのだと私は自身の経験から自信から確信に変わったと思っている。

結論、何が言いたいかというと、未来のことなどは誰にもわからないのだから、未来のことは考えすぎず、振り返って関連付けのできる過去からヒントを得ようと思うこのごろでもある。それは都合の良い解釈になることもあるだろうが、過去の自分も適当な決断をしてきたわけではなく、その都度ベストだと思う決断の積み重ねであるということもあるだろう。

半ば自分語りのようなブログになってしまったが、もし誰かの大きな決断の道標になることができたら幸いです。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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