外から見た日本。いつから日本は「アジアの盟主」ではなくなったのか?

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こんにちは。ジュークです。

さっそくだが、「日本の平均収入は30年間停滞している」「日本は安く観光ができる国」などといったどちらかというとネガティブな内容が報道されることが昨今増えた気がする。

給与が増えない日本…1990年の水準まで逆戻り
国税庁『民間給与実態統計調査』によると、令和元年、2019年の会社員(給与所得者)の平均年収は436万円。前年比1.0%の減少となりました。減少を記録するのは、2012年に前年比99.8%を記録した以来のことでした。

会社員の平均年収436万円…30年、給料が上がらないという空しい事実

「何を今更」という内容かもしれないが、私自身海外に長く暮らして、外から日本をみてきた。

その視点で「外から見た日本」という壮大なテーマだが、時系列で綴ってみたいと思う。

情緒的な割合も高い内容となるが、お読みいただけたら幸いである。

2000年初期

父の転勤で、私の家族はアジアの某国に引っ越した。

そのアジアの国は、今や高度経済成長真っ盛りでイケイケな状態だが当時はアジア最貧国の一つといっても良いほどの国であった。

車で信号待ちをしようものなら、路肩から10歳に満たない子供が押し寄せて、ジュースやお菓子などを売りつけてくる。

今思い返せば、みんな少しおかしな目つきをしていて、聞いた話では空腹を誤魔化す麻薬が当時蔓延していたのもあり、貧困層はドラッグに犯されていた

決して裕福な国ではなかったので、インフラも脆弱であった。大雨が降ると停電は日常茶飯事で、道路もすぐに洪水となった。そこら中で樹木が倒れて渋滞が悪化していた。ちなみに雨が降るとインターネットもよく止まった。どういう原理かは今もわからない。

そしてなにより、貧富の差も激しい国だった。富裕層は日本では想像ができないような宮殿に住み、使用人を何名も雇って、プールとテニスコートで贅沢を楽しみ、高級外車を乗り回す。

そんな国であったので、外食は場所を選べば激安であった。「え、日本円で300円もしないけどこんなに食べられるの?」といったご飯が普通に買えた。もちろんそれは、現地人にしてみれば豪華な食事であった。

そんな格差が極端な話、道路一本挟んで広がってるような国であった。

そんな当時、日本はといえば私も子供であったが間違いなく「アジアナンバーワンの盟主」の立場にいたと認識している。

例えば、日本企業のクルマは多くの人の憧れであり、日本製品は高級・高品質の代名詞のような立ち位置であった。日本製品は「高い」というイメージが強くあり、アジア最貧国の富裕層向けのショッピングモールにいっても日本製品はあまり手に入らなかったと記憶している。

それゆえ「私は日本人だ」というと、「お金持ちなんだね」と現地人には思われた。

極端な表現を使うと、間違いなく当時のアジアは「日本」と「日本以外のアジア」に分かれていた。それは経済的な豊かさでも、文化的な成熟度でも。

現にGDPを見てみると、その差は歴然である。2000年時点でアジアトップは日本であり、次点の中国の4倍近い経済規模を有していた。同じアジアで続くのは韓国とインドで、両国ともに日本の2割に満たないGDPであった。オーストラリアに至っては日本の10%以下の経済規模である。

逆にスリや誘拐に気をつけろと両親に口すっぱく言われた。

夏休みや冬休みに日本へ帰国すると「日本はなんて進んでいる国なんだ!」と子供ながらに思ったのを今でも鮮明に思い出せる。バスや電車、綺麗な街並みに美味しい食事。全てがキラキラしていた。

日本と「アジア」の差はそれぐらいあった。

2000年代半ば〜後半

またもや父の転勤で、今度は中国の某都市へ家族で引っ越した。

結論から書くと、このあたりから日本と中国の差は急速に縮まっていたと感じる。

もちろん、当時はまだ大気汚染もひどかったし、色んな意味で経済も社会も未熟な状況に中国はあった。

しかしそこには日本にはない「勢い」が間違いなく存在した。

高層ビルがバンバン立ち、区画整理が急速に進み、中国という国の急成長をティーンエイジャーながらに感じた。

「俺たちがこれからアジアナンバーワン、いや世界ナンバーワンになるんだ」

そんな熱意が街中に溢れていた。

この時から徐々に、日本製品が中国でも手軽に手に入るようになったと思う。

多くの日本企業が中国で事業展開するようになったのもあると考えるし、中国における平均所得も上がっていったため、日本との物価の差が急速に縮まった。

さらに率直な話、この頃から日本と中国を夏休みなどに行き来してもそれまで感じていた日本とアジアの差を感じなくなった。

それでも日本食は美味しかったし、日本のインフラの便利さは随一であった。一方、日本に帰国しても「やっぱり日本はすごい!」と思うことが徐々に減っていったのも事実だ。

それどころか「中国ならもっと良いものが手に入る」と思うことも少しずつだが増えていったのはこのあたりだ。

今思えば、この時に中国の日本追い越しが始まっていた。

それでも、大都市の繁栄と引き換えに、車で1−2時間でも郊外に移動すればいわゆる中国の貧しい農村が当時は無限に広がっていた。そこにはいうまでもなく、スラム街が広がり、私が以前住んでいた国のように、小さい子供の物売りが多く見受けられた。

2010年代前後

私は単身、オーストラリアの大学に留学した。

豪州に到着してまず私は、その物価の高さに驚いた。当時すでに、平均して日本の物価と比べて1.5倍から2倍近かったと記憶している。ランチを普通に食べようと思うと、最低1000円はしたり、晩御飯でお酒の飲もうとなれば4000円はくだらなかった。とてもじゃないが、貧乏学生の私に気軽に支払える金額ではなかった。

それまでの海外生活で、「日本の物価は世界で見ても高い」感覚でいたのでその時の私はとても驚いたし、その事実を消化するのに結構時間がかかった。

そしてなにより家賃が高かった。当時の私は、留学生の間では一般的なシェアハウスをしていたが、そう広くない個室に共用のトイレ・シャワー、一軒家に六人が住み、大学までバスで20−30分といった立地で週200ドルであった。すなわち、一月あたり800ドル、日本円で当時のレートで6万円〜7万円ぐらいだった。おいおい、東京でそこそこの一人暮らしできる家を借りられるじゃないか、と何度も思ったのを今でも思い出せる。

話を少し戻して、大学に入学した頃はすでにアジアの盟主は日本から、時の香港やシンガポールになっていた。大学を卒業するころには中国がアジアナンバーワンの座をがっしり握った感覚である。

日本人留学生は当時すでにお金持ちというよりは、「中堅」家庭の出身だという見方がオージーの間でもされていたと思う。お金を落とす留学生は中華系という社会認識は当時すでにあったと思う。どこの大学もいかに中華系学生に入学してもらおうと必死にセミナーやオリエンテーションを開催していた。

このとき、わかりやすいところでいうと日本車は2000年代前半のような「高品質」なクルマというよりは「ヨーロッパ車より若干安いクルマ」「お手頃価格で買えるクルマ」といったカテゴリーになっていたと感じる。

それもそのはずで、30年間経済成長がなかった日本に対し、オーストラリアは30年間成長しかなかったのだ。

簡単に言えば、立場が逆転したのだ。

80年代〜90年代は、オーストラリアは日本人にとって安い観光先であった。ケアンズやゴールドコーストに日本人相手の観光業が今もあるのはその名残だ。この時代に結婚された人は、新婚旅行はケアンズなど多かったのではないだろうか。

それが2010年前後になると、北海道のニセコをはじめ、東京や京都などといった街は今度はオーストラリア人にとって安い観光先になっていた。アメリカやヨーロッパと違って地理的にも近く、時差もない。

日本はこの時すでに経済大国から、徐々にアニメや漫画といったポップカルチャー大国の立ち位置になっていたと思う。

GDPでみればこのときでも世界第3位の経済大国で、13位のオーストラリアに比べたら大きいわけなのだが、おそらく同じアジアの中国と比べて見劣りし始めたのがこの時期だろう。

2010年時点でのGDPランキングは以下の通りで、日本はアジアNo.1の座を中国に譲った。GDP比10%以下であったオーストラリアも気づけば20%くらいにまで成長。

2010年代

このとき私は日本で働いていた。物心ついて初めて、「内」から日本を見ることになった。

新卒で日本企業に入り、そのあと外資で働いた。

そこで感じたのはまず日本企業と外資の給与水準の差である。ここで長く語るつもりはないが、当時20代前半の私のようなひよっこでも、日系と外資で転職時に提示された給与には2−3倍の差があった。

このとき最も良い給与を提示してくれたのがアメリカ企業で、このあたりから「アメリカという国の豊かさ」について考えるようになった。

外資で働いている人ならわかると思うが、この辺りから、もしかしたらこの少し前から、アメリカ企業における「日本市場の価値」が少しずつ下がってきた。購買、経理や財務、総務などといったいわゆる「コストセンター」の部署を日本法人から無くし、アジア太平洋の拠点である上海や香港、シンガポールへの集中と移管が始まった外資が多いと思う。

それもそのはずで、この時点で日本の人口減少が加速し、経済縮小はすでに避けられないものになっていた。

つまり外資からすると「この先伸びる見込みのない市場」のカテゴリーになった。

もちろん東京や大阪といった世界から見ても大都市はそれなりの繁栄を今も続けているように見受けられる。東京駅などは無限の都市開発が進んでいるし、渋谷などにいけば「日本って本当に人口減ってるの?」と思うほどの人混みだ。

同時に、出張などで地方に行くことも少なくなかった私は、その度に日本という国の衰退を肌に感じた。少しでも地方に移動すると駅前はシャッター街が広がり、少子高齢化で過疎化が進んだ地域などは活気など皆無のところも多い印象だった。取引先にも若い人はおらず、老朽化した施設が目立った。そんな衰退の一途を辿る地方と、そんなことは嘘のような大都会東京との間の移動を繰り返していた私は、途中から何が「日本」なのかわからなくなっていた。

しかし、国全体では間違いなく成長が鈍化しており、お世辞にもプラスに働く要素があまりないと、あくまで「お金儲け」に海外からきている外資にとってはここから追加投資をしたり、積極的に人を増やそうという判断にはなりにくい。

そんなこんなで日本法人に残ったのは顧客対応の営業関連の職種が多いイメージだ。

欧米系の企業のアジアの注目の的は、この時すでに成長著しく無限の可能性を秘めた中国市場に完全にシフトしていた。

経済的にジリ貧状況となった日本企業に比べ、これからイケイケな中華企業やアジア企業は金払いも良いイメージを私は持っている。他の国の営業の報告などを聞くと同じ製品の買値なども日本市場と比べて高く、私はびっくりした。

2010年代後半〜

私は国際結婚を経て、再びオーストラリアへ生活の拠点を移した。

この時強く感じたのは、日本企業は少なくとも完全にオーストラリア市場で衰退の一途をたどっているということだ。

わかりやすいところでいうと、この時すでに家電量販店から日本業製品はほとんど消えた。冷蔵庫などはサムソンやLG、テレビも中国系韓国系などの製品に置き換わった。逆にソニーや日立のものが置いてあると、「お、あるのか」と少し驚く。

日本製品が今も強いのは自動車くらいだろう。オーストラリアの自動車シェアナンバーワンはトヨタだ。

就職活動や転職活動を経て、日本企業の少なさも痛烈に感じた。ここオーストラリアでそれなりの従業員数を持って現地法人を運営しているのは5大商社くらいかもしれない。他の会社は、5名以下などの規模感が多い印象だ。そして軒並み給与が現地企業やアメリカ系企業などに比べると低い。

かつて栄えた日本人駐在員や観光客相手の経済圏もだいぶ衰退した話をよく聞く。かつて日本人街と言われた地区も今や中国人や韓国人の方が多かったりする。現にシドニーの中心街は中国人をターゲットにした店が立ち並ぶ。

単純に、日本人相手や日本語だけで飯を食っていけるビジネスはここオーストラリアでは相当厳しくなったと感じる。

それでも、引き続きアニメや漫画といったポップカルチャー人気は根強いとは思う。

そして、私はさらに日本とオーストラリアで学生時代にすでに開いていた物価の差がさらに広がったことを痛感した。

一番わかりやすいのは不動産価格である。

私の住むシドニー大都市圏で、もちろん不動産なのでピンキリはあるが、ある程度の条件を満たす、例えば3ベッドルームの物件の最低価格はおそらく100万〜150万オーストラリアドル、日本円にして8000万から1億2000万ぐらいだろう。肌感覚これぐらい出せば、「それなり」の物件は買える認識で、「もっといい」物件は当然もっとする。

これが現在のオーストラリアの高い物価の現実である。

賃貸も同じような感じで、それなりの繁華街で2ベッドルームのそれなりの物件を借りるとざっくり週500-700ドル、ひと月あたり2000ドル〜3000ドル、日本円にして18万円から25万円くらいする。これは決して高級マンションやタワマンに住めるというわけではなく、「一般的な生活」が送れる部屋を借りることのできる相場だ。

それぐらいの予算が東京在住であったら、結構良いマンションに住めるのだから、シドニーの物価は驚異である。

なので、シドニーから地方都市へ移住する流れは現在コロナ禍の影響もあって加速している認識だ。

まあ、オーストラリアの場合だと最低賃金も高く、2021年現在20ドル(1600円)近いわけなので、日本と単純比較はできないのも当然だろう。それでもオーストラリアの物価は高く、日本から移住するとその差に驚く。

数字との答え合わせ

こういった肌感覚の裏付けというわけではないが、これまで共有した2000年・2010年・2020年時点での名目GDPランキングの推移をまとめると以下の通りとなる。

順位2000年2010年2020年
1米国(10,285)米国 (14,964)米国(20,933)
2日本 (4,888)中国(6,066)中国(12,915)
3ドイツ(1,955)日本 (5,700)日本(5,049)
4英国(1,372)ドイツ(3,423)ドイツ(3,803)
5フランス(1,372)フランス(2,652)イギリス(2,711)
単位:10億ドル 出典:ファイナンシャルスター

数字で見るととても明確になる。

米国は2020年〜2020年の20年の間に、ざっくりGDPが2倍になっている。単純に経済規模が倍になったのだ。この期間に今や誰もが知るアップルやアマゾン、グーグル、テスラといった企業が成長した。

中国に至っては2000年時点ではトップ5圏外であったが、2010年には日本を追い越し、今や3位日本を遠く引き離している。逆に今や王者・アメリカが射程距離内だ。

こうみると、GDPが「豊かさ」の全てだとは思わないが、ある程度そうである事実も踏まえると、私が自身で感じた日本の世界との相対的な豊かさと辻褄の合うところも多い。他の国々がこの20年、1.5倍から2倍に経済力を伸ばしたのと引き換え、日本はそれでも世界第3位の経済大国の地位は維持しているものの、冷酷な現実としてGDPそのものの成長は無しとなったと言える。

これは日本が貧乏になったというよりは、周りの国がお金持ちになって、相対的な豊かさの差が縮まったという表現が正しいのだろう。

ちなみに、オーストラリアは2000年〜2020年の間でGDPが約3.5倍に膨らんでいる。経済成長著しい。

GDPと実質賃金指数は直接連動するものではないが、その関係性はとても明確である。以下は全労連のグラフでよくいろんなサイトで目にするものだ。GDPが明確にこの20年で成長したオーストラリアや欧州は、実質賃金も1.3倍前後までに伸びている。

終わりに

まとめると、私の肌感覚で2000年前半の時点では、日本は間違いなくアジアの盟主であった。生々しい話、自身が日本人であることを純粋に誇りに思えた。

その盟主の座は2000年代中盤から徐々に崩れ始め、2010年前後にはもう失っていた。

そのあとは、新しい盟主となった中国の成長を誰も止められない。

少なくともここオーストラリアで、間違いなくお金持ちが多い民族は中国人だ。一説によれば、昨今の不動産価格の急騰は急増する中国系移民の影響が無視できないようだ。

それはおそらく、バブル期に日本人が海外の不動産を買い漁ったのと同じような現象なのだろうとも思うが。

少子高齢化。経済の縮小。祖国日本の課題は多い。

何か私も役に立ちたいとは思っているが。。。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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