オーストラリア移住して丸2年。これまでのこと、これからのこと。

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new year

明けましておめでとうございます。ジュークです。

特段理由があるわけではないが、今回はちょっと違った口調で記事を書いてみたいと思う。

さっそくだが、現在記事を書いているのが2021年1月3日ということで、日本を去り豪州へ移住して丸2年とちょっとが経過し3年目に突入した。2020年はコロナウィルス勃発もあり色々なことがあり、仕事の面でも今振り返ればジェットコースターのようであった。今年の抱負や振り返りなどの偉そうな内容ではないが、近い将来海外移住を考えている方、私と同じように海外で暮らし思うことが色々ある方のお役に立てればと思う。

私の個人的な記録な側面が強い記事のため、あまり興味のない方には戻るボタンを押すことをお勧めします。

キャリアについては正直五里霧中

身バレもあるので詳しく記載しないが、2020年の終わりに仕事を辞めた。辞めたというより形式上は「会社都合の解雇」であった。理由は詳細述べるわけにはまだいかないが、私のメンタルという部分では私自身「こんな仕事いつでもやめてやる」という気持ちに様々な要因より昨年半ばごろからなっていたため、正直いつクビになってもいいというスタンスではいた。今思うとあまりよくない判断でありプロフェッショナルな態度でなかったかもしれない。

それゆえ、マネジメントよりそういう話があったときも驚きというより「やっぱりきたか」というリアクションであったし、自分で改めて思っても冷静な自分がいた。

何かと障害の多い職場ではあり、自暴自棄になりかけていた私にとって最後に担当したお客様と同僚がとても残念がってくれたのがせめてもの救いだった。

というわけでこのブログを書いている時点では私は無職である。一応、エンジニア養成コースに通っているので「学生」の肩書きはあるかもしれないが立派な「プー太郎」である。

貯金もあり手切金もいただいたのでお金にすぐさま困ることはないと思うが、無職というのはやはりどこか心細く、「コロナで世間が大騒ぎしている中、次の仕事は決まるのだろうか」という不安に押しつぶされそうな夜もある。

次のキャリアはエンジニア、できればフロントエンドデベロッパーとしてIT企業に勤めたいと思っている。そもそものキャリアチェンジのきっかけは豪州で初めて勤めた企業がウェブ開発系のSaaS企業であったことだ。その時はセールスという立場ではあったがコーディングやウェブ技術に触れる機会が少なからずあり、ウェブ開発の面白さと奥深さに惹かれエンジニアという職を初めて意識した。

その後、4ヶ月ほどのフロントエンド開発の初心者コースに通い始め基礎中の基礎を学び、「これは面白い、もっとやってみた」と思った。そして昨年の8月より半年間のフルスタックデベロッパー養成コースに通い始めた。このコースでは現在デベロッパーが使用する主要言語の基礎や応用を学んでいる。

話は少し戻るが、私はこれまで営業としてのキャリアを日豪で積んできた。日本で働いていた頃は(今思えば)英語力が最大の武器となり幅広い可能性の恩恵を受けていた。しかし豪州という国でどこまで行っても最終的には「日本語の喋れる営業要員」枠のみでしか面接で有利になれないことに違和感とキャリアの限界に直面した。おそらく豪州に限らず、どこの国の出身者がどの国へ移住しても少なからずそういった「ステレオタイプ」「現地で期待される枠」との葛藤はあると痛感した2年間だった。

そういったわけで、以前の記事でも述べた通り「手に職」をずっとつけたいと思っていた経緯もありエンジニアへのキャリアチェンジを模索している。

ただエンジニアとしての経験はもちろん皆無のため、就職戦線では多大なる困難が想定される。それでもインターンから始める、無名スタートアップに入ってとりあえず経験を積む、ボランティアで知見を貯める、ポートフォリオの充実で技術をアピールなど色々な方法はあるため1つずつ手をつけていく。

もちろんこのキャリアチェンジが吉を出るか凶と出るかこの時点ではわからないし、コロナウィルスの不景気もありそんな都合の良い仕事はないかもしれない。結局また日本語のできる営業ソルジャーに戻る可能性もある。まあ、色々な可能性を模索しつつ最善の道を選ぶつもりだ。

今思えば、日本で新卒の就職活動をしたときの色々悩んだものだ。現在の私もオーストラリアでの職歴のみで考えたらヒヨッコなわけなのだから苦労は当たり前なのだと割り切っていく。

日本との距離が遠のいた感じがする

当たり前のことだが、日豪間はコロナウィルス前、直行便であれば9時間程度で往来のできる距離にあった。極端な話、「日本に帰りたいな」と思ったら10万円ほどを支払い当日の深夜発もしくは翌朝の便に乗れば遅くとも翌日には日本の空港に到着。そんな距離感であった。したがって、コロナウィルス前は実際の距離より日本を少なくとも私はそんなに遠く感じていなかった。

それがコロナウィルスの影響で状況が大きく変わった。

政府の公式サイトで正確な情報を確認いただければ幸いだが、私の知る範囲では2021年1月3日現在、オーストラリアは原則今年の3月までは国境封鎖(認可がある場合は別)であり、フラッグキャリアのカンタス航空も7月まで商用の国際便は飛ばさない予定だ。英国で見つかった変異型がアジア太平洋でも増えている事実もあるのでこのタイムラインも正直当てにならない。

つまりオーストラリアから当面の間は簡単には出られないし、一回出たら帰国できないかもしれない。

もちろん、ANAやJALといった日系エアラインが以前の頻度で飛べばまた日豪間の往来は可能だし、現在も少なからず飛んではいるので日豪政府の認可を取得した人たちは行き来していると思われる。

ただ個人的には飛行機の中に9時間近くも、その上換気が決して良いとは言えない空間にいることにあまり気は進まない。もちろん認可が取れるとも私の状況では思えない(友人から聞いた話では冠婚葬祭でもケースによっては却下されるらしい。)さらに、諸説あるとは思うし個人で受け取り方はあると思うが、今の日本がニュースを見る限りオーストラリアと比べて安全だとは私には思えない。

といった感じで日本という国が一気に遠のいた。気軽に帰国できる距離ではなくなり、両親や友人にも当面会えなくなった。それはもちろん寂しいことであるし、時々日本が無性に恋しくなる。

もちろんオーストラリアの主要都市にはユニクロや無印良品といった日系リテールを初め、無数の日本食レストランが立ち並ぶためお寿司やラーメンは普通に食べることができる。スーパーに行けば醤油やマヨネーズといった食材もいつでも手に入る。同時に文句を言ってられる状況ではないのはわかっているが、やはりオーストラリアの風景を見ながら食べるラーメンは、日本で日本の景色と空気の中で食べるラーメンとは個人的には違うと思っていて、オーストラリアで日本食を食べても「何か入ってこない」と思ってしまうのが正直なところだ。

家族を大切にしよう

最後に、家族のことについても触れたいと思う。

コロナウィルスが仮に良いことをもたらしたと100歩譲ってするならば、それは家族との会話が増えたことかもしれない。私の場合、仲が悪いわけでは決してないが必要がなければ家族間で連絡を取らない家庭で育ったので、そこまで両親や兄弟とのコミュニケーションは多くなかった。極端な話、兄弟がどんな仕事をしているのかも会社名を知っていても実際詳しくは知らなかった。

感染症が一気に拡大した2020年3−5月ごろから家族間での会話がラインやスカイプを通して増えた。両親が単純に心配していたのもあるし、離れて住む兄弟のこと、私自身両親の年齢も考えるとリスクが高いこともあった。今でも一定のペースで「家族会議」なるものを開催し、近況を伝え合っている。そこで兄弟がどんな仕事をしているのか、両親や祖母の体調の確認、過去の冠婚葬祭であった親戚の話や大袈裟だが自分のルーツについて知ることもあった。特に深い話をするわけでもないが、こういった場は心に安堵をもたらしてくれる良い時間となっている。

こういった家族とのコミュニケーションを重要視するようになったのも、私自身が結婚したことも大きな要素だ。コロナウィルス前は私も奥様も当たり前のように出勤していたため平日は顔を合わせるのは朝と晩のみ、休日もお互い予定があったりと今思えばバタバタしていて一緒の時間は思ったより少なかった。

この年末年始もそうだが、オーストラリアでは外出規制が少なからず発令されており1月3日現在、州境封鎖も行われているため旅行に行こうと思っても選択肢がかなり限定的である。前述の通り、飛行機に乗るのも電車に長時間乗るのも正直気が引ける。ということで家にいることが増え、奥様との時間も必然的に増えた。そう言った意味ではコミュニケーションが密になり、もう付き合ってから9年、結婚して2年が経つがお互いがお互いに知らなかったこともあったりした。

ブログで決して書き切れることではないし壮大なテーマとはなるので割愛させていただくが、家族は大事にしようと改めて決意した2020年でもあった。

終わりに

おそらく2020年は誰にとっても決してハッピー100%な年ではなかったと思われる。悪いことばかりではなかったと思いたいが、やはりネガティブな側面がどうしても目立つ年であったとは思う。

個人的なところでは、移住2年目で生活基盤がようやく固まり始めたと思っていたところへの暴風であったため、また更地からのスタートになってしまった感も否めない。

ただ、ここで諦めてウジウジしていても何も始まらない。できることを1つずつ毎日やっていき、逃げ出さずに向き合うことで見えてくるべきものが見えてくると信じている。

2021年が皆様によって良い年であることを願っています。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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