物語 香港人の歴史と思い

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こんにちは。ジュークです。

本日は昨今話題になる香港について綴ってみたいと思います。

香港人の奥様と結婚し、香港にも何度か訪れる中で香港人が香港に思うこと、そして教科書や授業のみでは理解できなかった歴史について学び感じることができています。

香港はアジア太平洋地域、もっと言えば中華文化圏に位置しその歴史も中華圏が強い一方で、100年近いイギリスの植民地の歴史もあり、「東洋の西洋」などと表現されることもある独特な土地でもあります。

本日は簡単にまとめていければと思います。

「香港」とは

まず「香港」とはなんなのか。簡単にまとめます。

出典:Wikipedia

香港、正式名を「Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China」(和訳:中華人民共和国香港特別行政区)は上の地図にあるように中国(ここでは中華人民共和国を指します)の南の位置する「半島」と「島」を総括した地域となります。

人口はおおおそ750万人で、2015年の国税調査によれば埼玉県や愛知県とほぼ同じ規模となります。面積は1,104km2で、シンガポール(700km2)の1.5倍程度、日本の自治体では北海道札幌市ほどの広さとなっています。GDPでの経済規模はその面積ではかなり大きいほうで、国で比べるとベトナムやノルウェー、アルゼンチンと同規模です。

その複雑な歴史と文化から、よくある質問である「香港は中国の一部なのか?」「香港人は中国人なのか?」はとてもセンシティブな内容であり、香港人との公の場では気をつけるべき話題の1つかもしれません。

香港の概略歴史

普段我々の指す「香港」という地域は、1842年まで当時現在の中国を納めていた「清」に統治されており当時は経済的なプレゼンスはそれほど高くない一地方都市でした。イギリスやオランダの欧米列強のアジア進出に伴い、当時日本のように半ば鎖国状態にあった清王朝が香港を外国との窓口(日本で言うと当時の長崎の出島に近いでしょうか)に使用していました。そのとき欧米がもっともアジアと貿易をしたがっていた香辛料を売買する港として「香」「港」の名前となったと言われています(諸説あり)

1860年代の香港と言われている絵画。まだ緑が多く、高度な発展があったとはまだ言えない土地です(出典:Wikipedia)

1842年に何が起きたのか。

それは当時アジアへの影響力を高めていたイギリス帝国と清王朝との間のアヘン戦争が終わった年です。アヘン戦争の原因や内容についてここでは触れませんが、当時世界の25%を支配していた大英帝国には勝てず、結果的に敗戦した清は香港島(Hong Kong Island)と九龍半島(Kowloon)の一部を譲渡することとなります。これが歴史の教科書にもある南京条約です。

教科書で見たことがあるかもしれないアヘン戦争の有名な絵画です。
(出典:Wikipedia)

その後、さらに影響力を伸ばしたイギリス帝国は九龍半島のより多くの土地の譲渡を迫り「新界」(New Territories)を1898年に獲得するのでした。これが社会的にも有名な「99年の租借」です。なお、アヘン戦争で獲得した領土に関しては当初は「永久租借」でしたが、後々この99年に組み込まれることとなります。

以降、1997年の中国への「返還」まで第二次世界大戦中の日本軍の香港占領をのぞき、香港はイギリスの植民地としての歴史を歩みました。香港人が英語に長けているのはこの影響が今も残っているからですね。

また、戦後も内戦や共産党主導の計画経済かつ海外の接触が限定される道を進んだ中国本土とは異なり、イギリスの統治下に置かれ「開かれた経済圏」でアジア屈指の国際金融センターとしての道を歩んだ香港。いわば全く別の歴史を進んだといっても過言ではありません。

「特区」が意味する所以

話を少し戻し、香港の正式名「中華人民共和国香港特別行政区」の「特別行政区(略称・特区)」は何を意味するのでしょうか。

1997年に香港返還が英国から中国へ行われた時、香港をそのまま中国へ編入せず香港を「特区」として向こう50年は残す約束が英中間でされました。

それもそのはずで香港は少し特別な区域であり、この複雑性は日本人からすると少しイメージがしづらいかもしれません。

前述の通り、香港と中国本土は近いようでかなり遠い関係にあります。

単純なところから比較すると、香港で流通している通貨は「香港ドル」です。

20香港ドル紙幣 – 出典: Wikipedia
(香港には日本で言う中央銀行が存在せず、民間の銀行が紙幣発行を行っている珍しい側面も)

中国本土の人民元とは一切異なる通貨が使用されており、もちろんこの2つの通過の間には為替レートも設定されており、これは日本円とアメリカドルほどの違いがあるといっても過言ではありません。ついこの間まで米国ドルとの直接取引ができなかった人民元と違い、香港ドルは長期間に渡って国際的に開かれた通貨でもあります。

また政治も民主主義寄りであった香港に対し、中国本土は共産党の一党独裁制度が敷かれています。経済も前者は自由資本主義経済に対し、中国も資本主義にシフトしつつあると言いつつも共産党が今も大きな影響力を持っています。

そして言語。香港は中華圏といえど中国語(Mandarin Chinese)の普及は100%ではなく中国南部で主流の広東語がメインとなっています。日本では馴染みの薄い言語ではありますが、一定度の知名度のある単語をピックアップすると「モーマンタイ」(和訳:問題ない)などがあったりします。

中国語と広東語は同じ漢字を使用するとはいえ、言語的な性質にはおそらく日本語と韓国語ほどの差があり、片方の言葉しか知らない二人がコミュニケーションを取ろうと思っても意思の疎通はなかなか難しいのではないかと思います。広東語は中国南部・香港の他に、マカオやマレーシア、シンガポールなどの華僑(ほとんどが香港や広州からの移民の子孫)も話す言語です。

よって、同じ民族ではあるものの歴史・経済・文化が非常に異なる。そのため香港をそのまま中国に組み込むと政治的にも経済的にも混乱が起こる。ということで90年代に返還の際、英国とイギリスは香港を一旦「特区」扱いにし、一国二制度(one country, two systems)を謳い、「香港は中国の一部になるが、香港の高度な自治を向こう50年認める」と約束がされたのでした。

香港と北京の距離感

ここまでお伝えしました通り香港は中国本土とはかなり異なる区域ということになります。

もっと言うと、我々が香港と呼ぶ地域に住んでいる人々は「中華人民共和国」の一部であったことは歴史の中で一度もないというのも両者の関係を難しくしています。

前述の通り、1842年に香港譲渡は「イギリス」と時の「清王朝」との間で交わされた条約であり「中華人民共和国」ではなかった。中華人民共和国の成立は1949年ですから、香港からしてみれば複雑な感情となるわけですね。なぜ一度も所属したこともない国家に「返還」されないといけないのだ、と。

また、今では立場が逆転しておりますが1997年の返還当時、中国は世界的にみるとまだ貧しい国であり国際金融センターとして富を蓄積していた香港とは経済格差も開いていました。97年当時、香港のGDPが中国のGDPの20-30%を占めていたという説もありますので、この数年で経済規模が逆転するまでその経済力の差が明白でした。

つまり香港からすれば「なんで我々で努力して裕福になったのに、また貧乏国家の一部にならないといけないのか」という経済的な距離感もつい最近まであったのです。

香港からの視点はさておき、北京政府はどう思っているのでしょうか。

これにも諸説ありますが、北京政府の執念の1つに「歴史の中で失われた中国の領土と都市の奪還」があるとされています。

歴史をひもとけば、当時の清王朝は欧米列強にアヘン戦争を始めとした侵略にあい、香港のみならずマカオもポルトガルに占領され、その後は日本との戦争で台湾なども奪われるなど、領土譲渡も多く経験しました。よって、19世紀から20世紀の100年近く自国を諸外国にめちゃくちゃにされたという認識が強いとされています。

教科書にもよく掲載されている、19-20世紀の日本や欧米列強による中国分割の風刺画です。当の中国は蚊帳の外なのが印象的ですね(出典: Wikipedia)

その代表格が香港。イギリス帝国の私利私欲のためにアヘンをばら撒かれ、買わずにはいられなかった喧嘩を買い、結果領土を100年近く奪われる。その間に香港の人々は英国文化に染まった。

よくある例えに、香港という子供をイギリスに拉致され、久しぶりに帰ってきたと思ったら英語しか喋れず中国文化を忘れてしまった。自分の子供のはずなのに他人行儀…なんて複雑な話でもあります。

すなわち、イギリスとの敗戦の記憶かつその影響が残る香港は中国政府からしてみれば「自国の汚点」が残っていると同義であり1秒でも早く忘れ去りたい、浄化したいという思いがあるともされています。

また北京政府は自らを「中国の代表」と位置付けており国際社会の大部分も実質上認めているわけですから、香港の返還は中華人民共和国にされて当然だという主張もあったりします。

よって、香港から見たら北京は「おいおい、今まで北京を親だなんて思ったことは一度もないぞ」という感情になりますが、逆は「同じ文化圏の仲間じゃないか。ちょっとイギリスに影響されたからってなにいってんだ。大人しく帰ってこい」ということになります(すごく大雑把な説明ですが)

香港内でも起きている亀裂

この対立をさらに難しくしているのが、現在3つの派閥に分かれてしまった香港社会です。

1つ目の派閥は、中国返還に賛成している層です。

あまりニュースなどには取り上げられていませんが、この派閥の多くがビジネスオーナーや資本家、もしくは政府関係者などの上流階級や権力層だとされています。すなわち中国本土の繋がりが強く、その繋がりでお金を稼いでいる・お給料をもらっている人たちです。彼らの言い分として、「イギリスはすでに過去のような力はなく、今や中国が世界市場であり中国の一部となることでさらに経済的なメリットを受けられる」という真っ当な主張となります。

中国の一部に正式になれば、関税もなくなりますし法整備も一本化され、ビジネスも格段にしやすくなります。現在「国境」が敷かれておりパスポートなしでは往来もできませんが、そういった面倒もなくなります。

この層からしてみれば現在イケイケな中国経済に乗っかることでビジネスを成功させたい。ということなります。

2つ目の派閥は、中国返還の反対派です。

このグループはよくニュースにも出ていますが、この派閥は主に若年層と中流階級が多いとされています。一般論にはなりますが、この若年層は香港で生まれ香港で育った最後の世代であり、香港への愛着も強く、中国をよく思っていない割合も高いようです。中流階級がこの派閥に多い理由は後述。

最後の派閥は、無関心・すでに諦めている人たちです。

こういった人たちは、悪い意味で無関心なのではなく「だから言っただろ」と思っている人たちです。このグループの中には、1997年に返還されることわかっていたため、90年代前半に香港からの移住を試みた人たちが少なからず含まれています。現在オーストラリアやカナダを含む旧イギリス植民地やアメリカに住む香港人の多くが、この年代に香港を「脱出」した人たちとその子息です。

この層は、中流階級の上もしくは上流階級、それか当時すでに海外に親族などが滞在していたなど「移住が機会的にも経済的に不可能ではなかった」人たちが多くを占めています。逆に言えば、現在香港でデモをしている人々は90年代に脱出したくても理由は色々あれど「移住できなかった」もしくは「移住しなかった」人々とその子息となります。つまり、香港以外に居場所がない人たちとも言えます。

脱出した人々は、90年代初頭にそれなりのリスクをとって海外に移住し、子息にその国の国籍・市民権を取らせることで「子息が将来どうなっているかわからない香港に帰らないといけなくなる」リスクを最小限にしたとも言えます。自身も移住先で不動産を購入したり起業するなどして、生活基盤を新たに築いた人々でもあります。

当時の移住リスクと、1997年後の見えない香港の未来のリスクを天秤にかけたわけですね。

よってこの層の多くは「だから言っただろ。言わんこっちゃない」という主張になります。言葉を変えれば、中国への編入は避けては通れないことであり、遅かれ早かれ飲み込まれることも避けられない。いろんな感情はさておき、香港が香港でなくなることを受け入れた人々ということなります。それがわかっていたから、90年代にリスクを取って行動を取ったんだ、という思いを持っている人が多いかと思われます。

よって香港社会は現在3つの派閥に分断されており、その間にも北京政府の戦略は着々と進んでいると言う構図になっています。

最後に

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。

最初に戻り「香港は中国の一部なのか?」「香港人は中国人なのか?」の答えの難しさをお分かりいただけたら幸いです。香港は実質中国の一部となりましたが、「50年は自治を認める」約束の行方と、歴史的・経済的・社会的な違いからすんなり統合とは行ってはいません。もちろん北京政府の強硬なやり方には批判もあります。

また、「香港人は中国人なのか」の質問については、もちろん人種的には同じアジア人であり漢民族でありますし同じ中華圏ということで旧正月も祝いますし、結婚式は赤く染め上げるのが伝統であったりと共通点も多く存在します。ただし前述の通り、同じ文化圏で同じ民族であっても同じ屋根の下で生活したことはない両者となりますので、わかりあうには難しい側面もあります。

こう思うと日本は多民族国家ではない上、1945年以降に大きな侵略・紛争・植民地支配も沖縄返還を除けば経験しておらず平和な時代が長く続いているとも言えます。よって、故郷を実質的な他国に取り上げられることもなければ自身の居場所を奪われることも自然災害などを除けば経験していない国家ではないかと思います。

それは世界的に見れば少ない方で、本当に尊くありがたいことであると香港と日本を比べると思います。

直接的な接点がなければ、香港について考えることは少ないかもしれませんが、このブログが少しでも皆さんのお役に立てればと思っております。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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