日本は本当に「IT後進国」なのか。実際に働いてみて思うこと

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みなさん。こんにちは。

ジュークです。

タイトル通りなのだが、日本や海外のメディアに関わらず「日本はIT後進国だ」と報道されたりSNSで半ば日本批判のような形で話題になることは昨今多いと思う。そのニュアンスとしてはほぼ100%の場合ネガティブな内容であると思う。

年功序列、少子高齢化、保守的な社会、非英語圏による不利。潜在的理由は無限に議論されている印象で、どれもある程度間違いはないと個人的には思っている。同時に、実際にいわゆる「IT先進国」である米国企業で働き、「比較的IT先進国」と呼ばれるオーストラリアで暮らす中で「日本は実際のところどうなのか?」というのを完全に個人の感想になるが、まとめてみたい。

この記事では技術チックなことではなく、一人の市民として感じること、営業という職種の人間という視点で記述したい。

「1秒でも早く家に帰りたい」オーストラリア社会

少し話題から逸れるかもしれないが、まず大枠の話から始めたい。

オーストラリア暮らしのブロガーがよく書いていることとは思うが、オーストラリア人は本当に「1秒でも早く仕事を終わらせい」「1秒でも早く家に帰りたい」というモチベーションで働いているように私も思う。

そしてそれを上司であるマネージャーやディレクターが「悪いこと」「やる気のないやつ」と捉えることも少ない。

日本で営業をやっていた身からすると、さらに驚くのは17時以降に客から電話やメールが来ても、オーストラリアの組織は基本的に対応しない。上司が怒ることもない。「営業時間は17時までだ。以降に電話してくる相手が悪い。朝まで待たせればいい」という社会通説が成立しており、客側もそれで逆上することも少ないと感じる。

さらに、平日16時ごろにはオフィスから人が消え始めることが一般的だ。18時まで残っている人はほとんどおらず、19時には消灯したり清掃員が入ってきて「お前邪魔だ。さっさと帰れ」と言わんばかりに作業を始めたりする。金曜日などはもっと早く、15時前後から人がオフィスから減り始める。これはいまだにカルチャーショックである。

みなさんもご存知の通り、私も日本で働いていた頃は真逆だった。

理由はともあれ定時の17時半に帰ろうものなら上司から「もう帰るのか?」と嫌味を言われたり、先輩から「みんながまだ残っているのにどういうつもりだ」的な説教を受けたことはよくあった。夜20時だろうと客からの電話に出ないと翌日上司に怒られたこともよくあった。

これは賛否両論あるだろうが、これが日本社会のあり方なのでここでぐちぐちいっても何も変わらないため深くは言及しない。

それが社会通念として成立している

つまり、何が言いたいかというと、オーストラリアで働く人々は「オフィスに長居なんかしたくない」「早く家に帰って家族との時間を過ごしたい」「友達と飲みに行きたい」、よって「1秒でも早く仕事を終わらせたい」と常に思っている節がある。

かといって仕事をサボっているかというと、まあサボる人も一定数いるとは思うが、全体的には少ないと感じている。言葉を変えると「やるべきことをやっていれば何も言われない」社会なのだと思う。

もっというと、優先順位の高い仕事(つまり自身の評価や昇給につながる仕事)に対しては全力投球で速攻終わらせ、「どうだ、俺はデキるやるだろ」と言わんばかりに評価を求めたりする。

逆に、優先順位の低い仕事(つまりボランティアでしかないような雑務)に対しては「時間があったらやるよ」(つまり「いらん仕事を降ってくるな」という意味)くらいの温度感である。特に営業という職種では、日本以上に数字に厳しい面もあり、結果を出せなければ1年程度で解雇されるのが常である。

そう。オーストラリアの社会人は「いかに9−17時の間で自身の評価を上げて高い給料をもらえるようにできるか」を常に考えていると思う。17時以降は社内通念として家族と友人の時間であり、それを侵害する人は「仕事ができないやつだ」「心配りのないやつだ」と思われる節もあり、それが社会通念として成立している。

それが社会的に認められていることもあり、日本のように嫌味を言われたり村八分のようなことにはならないと感じる。

1秒でも早く帰れるためなら投資を厭わない

IT後進国云々とは若干ずれたが、私の意見はこうだ。

社員が1秒でも早く帰れるようにするには、作業の効率化が必須である。

現代において業務効率化といえばIT活用と同義なので、オーストラリアではITが生活にかなり根付いていると感じる。役所や銀行の手続きはほぼ100%オンライン化していると行っても過言ではないし、すで以前から納税申告なども完全オンライン化している。

私もオーストラリアに移住してきてからいわゆる役所に行ったことは、国民保険の申請と運転免許証の取得ぐらいだ。銀行に限っては、口座開設もオンラインでできるし、アプリが非常に便利な銀行も多く、特殊な場合をのぞき、支店に行く必要などほとんどない。

ほぼ完全なるキャッシュレス社会でもあるので、現金も持ち歩かなくなった。

オンライン化が進んだことで、想像するに会社員や公務員の単純な書類作業も激減しており(そもそも手書きの書類などオーストラリアに来てから日本領事館と関わる時ぐらいしか対応したことがない)そりゃマクロでの労働効率は高いだろうだろうと思われる。

言葉を変えれば、お世辞にもあまり経済的価値を生み出しているとは言えないペーパーワークを極限まで減らすことで「高付加価値労働」に人的リソースを投下しようとしているとも言える。しょせん人口2600万の小国オーストラリアである。アメリカの1割、日本の1/6程度の人口しか有さないため、人的リソースの無駄遣いは国力低下に直結してしまう。

実際にこの国で働いていても思うが、会社側もいかにみんなの仕事が17時に終わるようにするかに重点を置くことが多い。言葉を変えると、いかに「従業員がいかに働きやすいか」「精神衛生上働きやすい環境を作るか」が会社としての価値と考えられていると思う。もちろん給与やキャリアパス提供の比重もあるが、それがオーストラリアで言う「良い会社」であり「みんなが入りたい会社」である。

企業側もそういう環境づくりをしなければ優秀な人材獲得ができない。

そんなわけなので、逆に19時ごろまで残っていると「仕事のしすぎは体に悪い」と注意を受けたり、「明日は10時まで仕事しなくていい」と言われたこともあるぐらいだ。

生産性向上が重要となる

よって、作業が効率化され、従業員が17時までに帰宅することができれば、会社としても人的損失も軽減されるし何より社員が単純労働ではなく高付加価値労働に舵を切れると考えることができる。社員が精神病になったり健康をなんらかの形で害せば会社にも損失になるし、社会的なデメリットも大きいのが当たり前とされている。

しかし、ただ早く帰ればよいというものでももちろんない。

それでは企業の利益にならないため、同じ時間でより多くの価値を生み出すこと、つまり高い生産性が求められる。その意味でのIT投資は活発であると思う。前述の役所や銀行周りのオンライン化はもちろん、営業として働いていてもほとんどの書類周りの作業はCRMや電子サインなどを用いてデジタル化されている。

一方で、日本ではいまだに長時間労働が美徳である会社が多いと思うし、17時に仕事を終えるという概念も薄いため、会社側も業務効率化の重要度が高くなるケースも稀であると考える。いまだに「原本」にこだわる企業も多く、いちいち紙を郵送したりハンコを押したりしていると思う。

それに対して経営側が本当の意味で問題視していることも少ないと思われるため、いろんな要因があるにせよ「お金をかけてまである程度のリスクをとって新しいものに投資し、今のやり方を変えよう」となる重い腰が上がらないのではと推測する。

さらに、転職大国オーストラリアはこういった業務改善や生産性向上をネタに次のキャリアアップを狙えることもある。企業はどこも度合いがあるにせよ、一般論として金銭的なコストカットや従業員満足度に常に目を光らせており、それを自社にもたらせてくれる人材を常に探しているといっても過言ではない。

それに「私はこうこうこうやって、業務改善をした実績がある」と言えれば転職市場では強い文化もあり、社会として促進されていると思う。

ITは基本「新しい」という理解

私が思うもう1つの理由が新技術への寛容性である。

そもそもITという分野は、製造業や医療に比べると歴史が浅く、著名企業のマイクロソフトやアマゾン、アップルも表舞台に立つ世界企業と言われるようになったのはせいぜいここ10-20年程度の話である。昨今話題のズームコミュニケーションズなどはもっとも短く名前が売れ始めたのはここ3年くらいだろう。

何がいいたいかというと、ITはまだまだ技術的にも伸びしろがある分野であり、企業淘汰も他業界に比べると激しい。逆を返せば、新しい技術が日々生まれては、古い技術が消え去っている。

新しい技術に何がないかというと、知見の蓄積や長年の社会実績である。

簡単な言葉で言い表せば、「まだ使ってる人は少ない場合もあるが、理論上は使いこなすことで、生活や仕事がとても楽になる技術」がまだまだ多いのがITの実態であると思う。

これはもう100年近い歴史がある自動車産業などと真逆を行く。

要は、A点からB点に行くのに歩いたら1時間かかる距離でも車でいけば5分で行けることなど、誰でもでもわかる話であるし誰もが実際に体験したことがあるから「そうだ、間違いない」と言い切れる。しかし、ITは技術そのものが新しいため、誰も経験したこともなく知見もないため、仮に理論上「A点からB点まで30秒で行ける」となっても「本当か?証明してみせろ」と疑問に思われるのだ。

中には証明できるITサービスもあるが、全部が全部実証できるかというとそうでもない。

よって、ITサービスに限らずこういった新しい技術を検討・購入するユーザ・企業は、「理論上かなり便利ではあるが、使っている人がそもそも少ないので、実際うまくいくか少なからず不透明」なリスクが常につきまとうわけである。

投資には寛容性が必要

私が働いて思うのは、アメリカ企業やオーストラリア社会はこういうところには比較的寛容だと思う。

「だってそもそも新しい技術なんだから、実績がないのは当たり前じゃん」ということが普通に考えられ、「ある種投資なわけなのだから、うまくいかないリスクもある。うまくいかなかったらそんとき考えよう」「今の不効率な作業を続けていても何も変わらないわけなのだから、何かアクションを取ろう」と割り切っていると感じることが多い。

そのような場合、いきなり100点満点の結果が出なくとも、まず60点ぐらいで走り出し、徐々に100点に近づけていくことができる社会なのだと感じる。何事もそうだが、完璧を求めると多大な資金と時間と努力が必要である。さらに「100点」の状態の定義も、昨今目紛しく変化する社会情勢を考えればその時その時で変わるので一定のフレキシビリティーは必要と思われている。

もちろん、これはあくまで投資なので失敗することで責任を取らされる人もいるだろうし、不平不満が噴出するケースもあるが、いろんな意味でそういうことが「織り込み済み」である気もする。

一方、日本社会はこの手の投資が苦手であると考察される。株式投資などのいわゆる投資もそうだが、社会人として働いていても思ったが、多くの場合100点満点の状況にならないと走り出せないリスクのあることはしたがらない企業が多い。これは「加点方式」の欧米社会に対し、「減点方式」のアジア・日本社会が起因すると言われていたりするがこのブログでは言及しないこととする。

何が言いたいかというと多くの場合、その技術の実用性・革新性やポテンシャルは二の次で、日本企業は実績がたくさんあればあるほど安心すると思うしそういうソフトウェアを購入したがるケースが多い。よって、「みんなが使っているから安心」心理が今でも強く、いつまでも20年選手のソフトウェアなどが使われていたりする。

もちろんオーストラリア企業やアメリカ企業も実績は重要視してはいるが、その判断基準におけるウェイトは日本企業が突出していると個人では思う。

そう。たとえ現在進行形でコストが高く、多くの人の時間を使っているにもかかわらず、価値を生み出せていない仕事を減らすか無くして従業員をもっと楽になるテクノロジーが登場しても、今まで通りのやり方を変えることがとても苦手なのが日本社会だと思う。

これにはおそらく何百も文化的・経済的・社会的理由があるのだろうが、現実問題としてそういう社会傾向があるうちはお金を持っている企業が新しい技術への投資を行わない。そして、いわゆるベンチャー企業や技術革新が生まれることは減少するだろうしスローダウンするだろう。そして実際そうなっている。

そういう意味で日本は「IT後進国」になっている

外資ITで働いている人ならわかると思うが、ニュースでよく報道されたりする「日本は少なくともアメリカの15−20年はITで遅れている」というのは本当だと思う。

ITといっても裾野が広いため分野によって異なるとは思うが、今日本企業が使用しているアメリカのソフトウェアはアメリカやオーストラリア企業で少なくとも10年以上前に流行ったものが多い。言葉を変えると、前述の通り、日本企業に時代の先端をいっているITソフトウェアが導入されているケースは非常に稀である。

良い例がクラウド化の流れであるが、アメリカやオーストラリアではクラウド化のブームはとっくに終わっている。ほとんどの大規模サービスはAWSやMicrosoft Azureなどのパブリッククラウドに移行しており、いわゆるオンプレミスで今も莫大なランニングコストを払い続けている企業は少ないと思う。

一方で日本は誰でも知る大企業でも、いまだにオンプレミスで自社サーバーを莫大な人件費とコストを支払って稼働させているケースが少なくない。決して私はクラウド推進派で反オンプレミス派ではなく、オンプレミスにも良いところがありクラウドにも悪いところはあるが、そういうメリットデメリットを差し引いても日本ではクラウド化の流れは非常に緩い。

簡単な言葉に置き換えると、クラウド化することで企業としてそれなりのコストカットは見込めるケースが多いと言われている。例えば、自社サーバーを24時間365日メンテナンスする従業員のコストと精神的疲労も軽減できる。そう、前述のオーストラリア社会の目指す理想に近づけるツールなのだ。

例え話にするなら、会社を作ったのでオフィスを借りたいと思った時に、1からビルを作る工事をするため土地の確保を行い電気や水を引いて、デスクや椅子を買ってきてオフィスを仕立て、できた後もビルのメンテナンスも自分で全部やるのか、すでに出来上がったオフィスを賃貸し次の日から事業に取り組むかの違いである。

しかし、クラウドもリスクはもちろんあり、時折ニュースで流れるサーバー障害などでサービスダウンなども起こりうるのでクラウド一択ではもちろんない側面もある。これはまた寛容性の話になるのだが、そもそも世の中完璧に動くことなどそもそも不可能なのだから、リスクと利便性をある程度天秤にかけて取捨選択するしかないのだ。

置いていかれる?日本企業

日本のメディアや企業はやはり失敗に敏感な側面が強く、前述の減点方式社会であるがゆえの「1つのミスも許さない」風土はまだまだ根強いと思う。よって新しい技術への抵抗感が個人レベルで薄くとも、組織としては依然強い。実際、アップルが新しいiPhoneを販売すると日本人は喜んでアップルストアに並ぶが、会社ではいつまでも古いソフトウェアやパソコンを使っていたりする。

従って、古いと明らかにわかっており時代にニーズに合わなくなってきて、高いコストを払わなければ維持できないシステムと誰もが思っているにもかかわらず、当然のように稼働しているケースも多い。どこかの銀行の主要システムがいまだにWindowsXPで稼働しており、ニュースで話題になったこともあった。

現に、某アメリカ系IT調査会社によれば、昨今の「IT先進国度」の指標の1つとも言えるようになったパブリッククラウドの普及率は一番手に盟主アメリカ、二番手に英国・オーストラリア・カナダ・オランダ・ブラジル、三番手にフランス・ドイツ・韓国、そして4番手にインドネシア・アルゼンチン・日本となっている。

他の国を揶揄するつもりはないが、世界第3位の経済大国がITにおいてこの立ち位置はどうなのかと個人的には思う。

終わりに

日本とオーストラリア、両方で暮らして働いた経験からすると日本は確かにIT後進国であると感じている。

その主な原因は「長時間労働が美徳であること」と「投資への苦手意識」の2つだと思っている。

米国やオーストラリアだって、働いていて思うが闇雲に投資をしてお金を無駄遣いしているわけではない。それではただのギャンブルであり散財である。

しかし、理解しないといけないのは世の中に確実性のあるものの方が少なく、それが社会や企業の未来であれば尚更である。豪州で感じるのは、その時にもっとも総合的に判断し適切だと思った決断を1秒でも早くすることが「正解」と理解されており、いくら時間をかけたところでそもそもわからない未来の心配などしても時間の無駄だ、という価値観である。

簡単な言葉で言えば「トライ・アンド・エラー」を素早く何回も回せる土壌が必要なのだと思う。

極論、未来のことは未来にならないとわからないので、未来になった時に考えればいいのだ。

もちろん、失敗することもあるだろうし投資が必ずしも報われるとも限らない。必ず報われる投資なら誰でもやってる。

ある種の寛容性が総合的に国力へつながっている。そう思う。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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