【雑談】オーストラリアで学んだ「期待をしない」ということ

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こんにちは。ジュークです。

今年も早くも6月となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

南半球のオーストラリアはすでに秋というか冬になりつつあり、毎朝布団から出るのが辛い季節になってきました。

本日は、オーストラリアでの生活も合計10年近くになるということもあってか、最近再度考えていることである「期待をしない」ということの大切さについて考えたいと思います。

雑談みたいな感じの記事になります。

オーストラリア社会はやっぱり適当だ!

これに尽きるかな、と。

オーストラリア在住の方ならわかると思いますし、SNSなどでもよく書かれていますが、オーストラリア社会はいろんな意味で適当です。日本の常識など通用しないところが多いです。

これはオーストラリアで社会人になってからも仕事を通じても、普通に生活をしていても思います。

日常生活でいうと、例えばこんな感じです。

  • 週末の日中に電車のメンテナンス工事を行っていて、どこにもいけない(日本でやったら総スカンだろうなあ)
  • オンラインショッピングで頼んだものが届かない(手配が止まっている)
  • 郵便物の配達が雑、もしくは届かない
  • スーパーで袋の破けたお菓子が普通に売ってる(誰も買わないけど)
  • 営業時間は17時までと書いてあるのに、15時に電話しても時折誰も出ない携帯電話会社
  • カフェで頼んだ飲み物が来ない
  • 「明日にはなんとかなる」精神がすごい(大抵の場合根拠はない)
  • チキンサラダを頼んだのにチキンサンドイッチがくる(実体験。「違うんだけど」と指摘したら「作り直すと15分かかるんけど?」て逆ギレされた)
  • 運転でウィンカーを使う人がほとんどいない(マジで時々危ない思いをする)
  • バスは走っているが時刻表が実質ないので、次のバスがいつくるか一切わからない
  • 10%引きクーポンなどを実際に使おうと思ってもレジで使えない(バーコードが読み取れないとか)

と、まあ色々あります。

正直、学生の頃は笑って流せることも多かったですが社会人として移住してきた当初はとてもストレスフルでした。

例えば東京の電車は人身事故でもない限り、時間通りに来ます。乗り換えの時間なども1分刻みで検索できたりしますし、日中にメンテナンスを行って銀座線が止まるようなことも原則ありません。

東京の生活ではこれが「当たり前」ですし、毎日正確に運転されていることがもはや「普通」になります。これが怖いことに無意識の間に、「今日も動いて当たり前だろう」という期待に変わっていくわけです。

一方、オーストラリアの電車は一般的に時間通りに来ません。次の電車が何分にくるかなどといった告知はありますが時刻表も基本ありません。乗り換えアプリもありますが、最新情報と一致しないこともザラ。「あれ、ここの電車止まってるはずなのに普通に乗り換えできることなってる…」「Googleと情報が全然違う」とか普通です。

前述の通り、平日の昼間にメンテナンスを突如始めることもあります。実体験として、平日の朝の出勤途中に何かしらの技術的な問題で電車を止めないといけないから「乗客全員降りろ!」と突然言われたこともあります。降りるのはいいけど、それからどうしたらいいの?と思いましたが、その後特に何もアナウンスもなく放置でした。

こういう時、大抵の場合は鉄道運用会社から「乗客の安全のためだ!しょうがないだろ!」と言われます。そう言われるとぐうの音も出ませんが、「いやいや、やり方ほかにあるよね?」と思うこともあります。

私は正直、このギャップに移住当初はめちゃくちゃストレスを感じました。東京で当たり前だったことが、オーストラリアでは一切通用しないなあ、と。なんでこんなことにいちいち1日を乱されないといけないんだ、と。

「よくこんなんでオーストラリアは一人当たりのGDPが日本より高いなあ」とよく思いました。

色々思うことはあるけど、オーストラリアで期待をもって生活をしていると疲れる

オーストラリアに長く住んでる人は悟ってますね。

そう、オーストラリアで期待をもって生きてると疲れます。

ただこれは悪い意味で言っているのではなく、良い意味で言っています。

電車がいい例ですが、日本人は当たり前ですが日本社会で生きてきた、もしくは現在進行形で生きていますので日本の電車事情が「普通」であり、「当たり前」であり「期待」なわけです。

同時に認識しないといけないのは、東京ほど正確に電車が運用されている国は珍しいということです。現に東京の電車システムは世界最高峰の正確性で動いているとも言われております。

極論を言えば、オーストラリアと日本を勝手に比較し、日本社会の期待と当たり前をそのままオーストラリアに持ち込んで勝手に怒ってるわけですよね。

そんなのオーストラリアからしてみれば知ったこっちゃない。だってここはオーストラリアであって、日本ではないわけですから。

言葉を変えれば、「高い期待値」を無意識の間に持っていると現実に裏切られた時に腹が立つ。それだけのことです。腹が立つと単純に疲れますし1日損した気持ちで過ごすことになるので百害あって一利なしです。

日本の基準をオーストラリアに持ち込んで怒るのは個人の勝手ですが、たぶん毎日怒っていることになりますよ。

「期待をしない」と色々楽になる

どうすればよいのか、というと私の答えは「期待をしない」ことです。

繰り返しになりますが、これは悪い意味で言っているのではありません。

いろんな意味で日本は特殊な社会なのです。まずこれを認識せねばなりません。

電車が時間通りに来る、店員さんのサービスが整っている、飲食店でのミスは基本ない(あると客は延々と文句言える的な風土もあるし)、オンラインで注文したものは翌日に届く。諸説ありますが、会社員は基本真面目に働く。

こんなのが当たり前なのは日本ぐらいなわけです。

オーストラリアでこの期待値を持ってると疲れるだけ、ということです。

正しい表現をすると、「オーストラリア社会の現実に合った期待値を持つ」ということかもしれませんが、いろんな意味で予測不可能なオーストラリア社会であります。よって、私の最近の心得は「期待をしない」です。

いちいち「どんだけの期待値を持ったらいいんだろう」と考えるのも疲れますからね。

こういうマインドセットで生きてると「お、今日電車が時間通り来てるじゃん!ラッキー!」と思えて得した気分にもなれますよ。小さな幸せですね。

終わりに

まあ、もちろんこういうマインドセットの切り替えは難しいことなんだとは思います。

さすがオーストラリア在住5年や10年、20年の方々はこの切り替えができている方が多いですし、そうしないと生きていけない社会なんだなと思います。

もちろん、「そんな不便な社会では生きていけない!」と思う人がいることも当たり前だと思いますし、そう思われる方は日本帰国を決断する場合が多いと思います。

なんだか言葉で伝えづらいですが、こんなオーストラリア社会も住めば都なのか、だんだん居心地がよくなってきます。この適当さの中に人間らしさを強く感じることがあり、「人間らしい生活」ってこのことをいうのかな、とか思ったりします。

逆に、オーストラリア社会はやるときはやる、緩急をつけるのが上手な社会でもあるのかなと思います。良い例がコロナウィルス対策かなと思っており、コロナウィルスが広まり始めて割と早くロックダウンや国境封鎖、かなり厳しい規制を設けて対策したため今や感染数も小さな数字です。普段のんびり適当ですが、こういうところでは本当にきっちとしてましたね。

なんだか不思議な社会。それがオーストラリアなのかも。

それでは。

日本生まれ、海外育ち、2018年よりオーストラリア在住。2021年7月に第一子が誕生。普段は外資系企業でサラリーマンやってます。

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